「日本人は同胞の肉を食べるのか」
あくる日の昼ごろ、収容所長のアントノフ大尉が血相をかえて大股で収容所に入ってきて、きびしい命令調で言った。
「ただちに馬車の用意をし、体が丈夫で“逃亡しないような”兵隊を3人選んで出せ」
わたしはその日の午前、3日間に1回ずつ行なわれる食糧受領の臨時通訳として収容所にとどまっていたので、日本側の大隊長吉村中尉と収容所長とのやりとりをつぶさに見ることができた。吉村中尉は言った。
「馬車の用意はすぐできます。ところでどこへ行くのですか」
「昨日逃げた3人の兵隊を運びに行くのだ」とアントノフ大尉は眼をきらっと光らせて言った。
「つかまったんですか。怪我でもしたのでしょうか」と大隊長はきいた。
そのときアントノフ大尉はいきなり、にがにがしそうにどぎつい言葉を吐いた。
「日本人(ヤポンスキー)は同胞の肉を食べるのか」
こんな目にあっているのは誰の罪なのか?
大隊長は驚いて言い返した。
「冗談もいい加減にして下さい。そんなことは考えることもできませんよ。それよりも3人は生きているのでしょうか」
アントノフ大尉は冷たく命令した。
「もうたくさんだ。1時間後には本人たちがここに現われるよ。5分後には馬車と兵隊は“ここにあるべきだ”」
わたしはこの会話を聞いて、3人は重傷を負っているだろうと思った。逃亡者が歩哨に射撃されて負傷した例はこれまでにも何度か見たからである。しかしアントノフ大尉の言葉、「日本人は同胞の肉をたべるのか」という言葉が胸に突き刺さっていた。その意味はいくら考えても理解することができなかった。
わたしはまた、満州以来のさまざまの出来事を思い起していた。満州の広野のくずれた塹壕や夏草のかげに、両手をひろげ口を開いたまま腐爛していた幾多の死骸、シベリアでのつらい最初の冬、栄養失調や発疹チフスで死んでいった人々、鉄条網を下から這って脱走を試み、歩哨に射たれて白雪を鮮血に染めて重傷を負った兵隊、「お母さん」という一言を最後に息をひきとった栄養失調の人のことなど、こし方のさまざまな出来事であった。
わたしはさらに、いつ終るとも知れない泥沼のような俘虜生活のことに思いをはせた。わたしたちがこんな目にあっているのは、一体誰の罪であろうか。少なくとも、このような結果を招くうえで、わたしたち自身になんらかの選択の余地があったであろうか。歴史の仕業だろうか。神が存在するならば、神はこうした苦しみをすべて放任しておくのであろうか。それはあまりにも無慈悲ではないか。わたしたちの人生はこれだけのものであろうか。
ちょうど1時間後、収容所の門の前に馬車が到着した。