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5歳から道場で対局を重ねてきた豊島竜王・名人

 インタビューが一段落つくと、阿部九段は「しかし豊島さんも30歳かあ。昔はこんなにちっちゃかったのになぁ」と言って右腕をまっすぐ前に伸ばした。「彼は、小さい頃から有名人だったんですよ」。

 5歳から関西将棋会館道場で対局を重ねた豊島は、7歳でアマ四段、9歳でアマ六段まで到達し、奨励会に入会している。アマ五段からアマ六段に上がるには「18連勝、または26勝2敗」というとんでもない昇段規定が設けられている。棋力差に応じた駒落ち戦もあるから、アマ五段の中でも圧倒的に強くないとアマ六段には上がれない。

 筆者は奨励会入会前の豊島のことを直接知らないが、関西棋界の名物カメラマンだった故・炬口勝弘さんが撮影した当時の写真を見ると、道場内を歩く豊島は、対局中で座っている大人よりも背が低く、埋もれてしまいそうだ。そんな子供が、土日には200人以上が来場する道場のトップクラスの実力を持っていたのだから、将来を嘱望されたのは当然だろう。その期待通りに奨励会を抜け、棋士になり、タイトルを取った。

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当時の豊島少年について伝える記事(将棋情報局編集部より)

 対局は豊島のペースで序盤戦が終わろうとしている。阿部九段が言うには、「後手が踏み込めないと理にかなっていない手順でしたが、▲6八銀(29手目)で一撃で決まる将棋ではなくなりました。先手は悪いところがない序盤です」。永瀬も終局後に「序盤は失敗しました」と振り返っていた。

29手目、▲6八銀まで(ニコニコ生放送より)

写真=諏訪景子

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