土曜日のオフィス街。キャリーケースを引いた豊島将之は他の歩行者を早足で追い抜かしていく。
彼は何度、この道を歩いたのだろう。
初めは、両親に手を引かれていたのだろうか。
道場で指した相手とじゃれあいながら、駅に走ることもあったのだろうか。
学生服姿で奨励会に向かったのだろうか。
傘を差し、脳内の駒と戯れながら歩くこともあったのだろうか。
仲間と笑うこともあったのだろうか。
信号待ちで、ネクタイの緩みを直す日もあったのだろうか。
カンカン照りの太陽を意に介さず、いつも通りに歩みを進める。横断歩道で待たされることもなく、半袖ワイシャツ姿の豊島は関西将棋会館に入っていった。
3階に用意された控室で和服に着替え、対局開始の時刻を待つ。いまの肩書は竜王・名人。三冠目の叡王を目指す七番勝負は、第6局を迎えた。
「幼いころから将棋を指してきた場所なので」
第5期叡王戦七番勝負は第5局を終えて永瀬拓矢叡王2勝、挑戦者の豊島将之竜王・名人1勝、2持将棋。先に4勝したほうが第5期叡王位に就くので、持将棋がなければ第6局はどちらかが3勝して迎えるはずだ。七番勝負終盤の「第6局」なのに決着局にはなりえない新感覚の対局になった。8月1日の第6局は、第5局と同じく持ち時間は各3時間で、14時に対局が開始される。
それぞれの控室では、ニコニコ生放送による対局直前インタビューが行われた。他のタイトル戦では見られないもので、好評だ。豊島は「体調は悪くないです。睡眠を多く取るようにしています。関西将棋会館でのタイトル戦は初めてですが、幼いころから将棋を指してきた場所なので、普段通り指せると思います。最近は負けが続きましたが、月も替わりましたし自分なりのベストを尽くしたい」と話した。
豊島は7月に7局指して、勝ちがなかった(5敗2持将棋)。通算成績が7割に迫る高勝率の豊島だが、過去にも対局が多い時期に連敗をしていて、3週間ほどで5連敗したこともある。8月も2日制の名人戦七番勝負を2局指すなど過密日程が予想されるだけに、体力面は豊島にとって永年の課題だ。