真っ赤なリップ、ヒョウ柄、Diorのサングラス
「今はファンを離れてしまいましたが、青春時代は“あゆ一筋”でした」と、松本さん。とくに影響を受けたのは、彼女のメイクやファッションだったという。
「歌ももちろん最高でしたが、顔も大好き。校則が厳しかったから、同じ金髪ショートにはできなかったけど、ショートカットにしていました。メイクも参考にして、真っ赤なリップを塗ってヒョウ柄の服も着てました。お金をためてあゆがかけていたDiorのサングラスも買って、とにかく同じものがほしかったです」
松本さんも熱弁するように、“ヒョウ柄”や“迷彩”などの柄アイテム、デコレーションを施したネイルなど、浜崎あゆみは“ファッションリーダー”としてさまざまな発信を続け、広く支持されていたのだ。
浜崎あゆみの大ブレイクで、渋谷が一変した
伝説のギャル雑誌『egg』から派生した男性ファッション誌『Men’s egg』で創刊当時からモデルを務めていた“ピロユキ”こと鈴木浩之さんに、渋谷のギャルカルチャーについて話を聞いた。
「僕らが遊んでいた90年代は、世代でくくると安室奈美恵さんの“アムラー世代”だと思います。アムラーの子たちは、ギャルというよりはダンサーの延長というイメージでした。茶髪のロングヘアにメッシュを入れたり、ミニスカートに厚底ブーツを履いたり、渋谷はアムラー一色でしたね。当時はよくナンパもしてましたが、気が強い女の子が多かったです(笑)」
ほぼ同時期に、日焼けサロンで肌を黒く焼く「ガングロギャル」が人気を博すなど、渋谷を中心にさまざまな流行が生まれていた。
そんななか、98年に浜崎あゆみが音楽シーンに登場し、99年1月に発売されたファーストアルバム『A Song for ××』で大ブレイクを果たす。以降「渋谷の女の子たちのファッションが一変した」という。
「浜崎さんのように金髪ショートカットの女の子が一気に増えましたね。ガングロだった子も、肌を白くして白ギャルになったり、ヒョウ柄の服を着たり、安室ちゃんの人気もすごかったけど、浜崎さんも同じくらいの影響力を感じましたね。アルバムの『LOVEppears』のジャケットのマネをして写真を撮ってる子もたくさんいました」