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素手で汚物を、清掃中命綱が外れ落下…インドの「トイレ」を支える下水道労働者30万人の“窮状”

『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』より #2

2020/08/18
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手袋もせずに汚物をかき出す

 スコップで掘り返した土を再び戻しながら、シンは淡々と答えた。だが、排水を扱ったあとの手でタオルをつかみ、痛む左目に押し当てている姿を見ると、余計に悪化するのではないかと心配になってしまう。手を洗ったとはいっても、もちろん石けんは使っていない。

「手袋やマスク、ゴーグルなどはしないのですか? 裸足で作業をするのも、転落やケガをして傷口からバイ菌が入る危険性があると思うのですが」

 竹の棒を手に、次の現場へ向かおうとするシンにそう言葉を投げかけても、私を見て不器用そうな笑みを浮かべるだけで、何も答えようとしない。なぜだろうと思いながら5分ほど歩くと、道路の脇を流れる排水溝に着いた。

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 シンは排水溝にまたがり、地下をめぐっているパイプの出口に竹の棒を突っ込み、流れを悪くしているゴミをかき出している。トイレなどから流れてきた排水は、やはり灰色に濁っており、近づくとひどい臭いがした。先ほどの衝撃ですこし鼻が慣れたのか、ハンカチを当てることはしなかったが、シンがかき出したゴミを素手で集め始めたのには驚いた。ゴミといっても、それは汚物そのもので、人間の排せつ物も混ざっている。私が驚いているのに気付いたのか、シンは「この方が早いから」と話し、黙々と作業を続けていた。手袋などをしないことの理由を尋ねた私に、素手で汚物をかき出している作業を見せることで、一つの答えを示そうとしたのだろう。

どんな仕事でも、働かなければ生きていけない

 乾季はパイプの詰まりも比較的少なく、1日当たりの作業は5、6件程度だが、マンホールの中に入るといった危険なことをしていることには変わらない。1日の稼ぎは200ルピー(320円)ほどで、手袋やマスクなどを使おうとすれば、そのわずかな賃金を使って買わなくてはならない。雨季になれば仕事量も増え、稼ぎは500ルピー(800円)ほどになることがあるものの、それだけ危険も増すことになる。

写真はイメージ ©iStock.com

 近くの低所得者向けアパートにある二間の部屋で、妻や義母、3人の子どもと6人で暮らしているシンは言う。

「病気やケガが怖いけれど、休めばカネになりません。この仕事をしていくしかないのです」

 目の痛みが気になるが、無料の公立病院は診察を待つ人が長い列をつくっており、通えば仕事にあぶれてしまう。もちろん、私立病院に行くのは懐事情が許さない。

「体調を崩す仲間は多いです。でも、とても悪化しない限り、休む人はいません。何の補償もないですから」

 シンは、仲間とともにまた不器用そうな笑みを見せた。