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ダウンタウン松本が「いかに浜田が嫌いか」を国際電話で8時間話したあの頃

ダウンタウン松本が「いかに浜田が嫌いか」を国際電話で8時間話したあの頃

大﨑洋×坪田信貴×ハイヒールが語り合った「タレントとマネージャー論」

2020/08/20

genre : エンタメ, 芸能

note

リンゴを気づかったダウンタウンの意外な行動

大﨑 ハイヒールはデビューしてすぐ、モモコだけがちょっと先にテレビの仕事が決まって、売れてしまったんやけど。

モモコ 『エンドレスナイト』(関西テレビ)という深夜の生番組のレギュラーに私だけが決まって。

大﨑 リンゴは別に文句も言わんと、素直に喜んでくれてなぁ。でもちょっと寂しいんちゃうかなぁと思って、リンゴと定期的にお茶飲んでた時期もあったよな。

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リンゴ 大﨑さんは、そういう配慮もしてくれるんです。

モモコ 「リンゴちゃん、お茶行くか?」って言うてくれたりね。あと、ダウンタウンのふたりも、土曜の夜は私が『エンドレスナイト』に出ておらへんから、リンゴひとりで寂しいやろうって、海を見に連れていってくれたこともあったんよね?

リンゴ そうそう。海を見に行ったのはええねんけど、途中でコンビニに入ったら、レジにテレビがあって、ちょうど『エンドレスナイト』が放送中だった。モモコひとりが出てる番組を見たら辛いやろうって、ダウンタウンのふたりが私をレジに行かさんようにしてくれたこともありました。

モモコ 同期はみんな仲良かったから。ダウンタウンやリンゴが海に行くって話を聞いて、私は私でテレビ局にひとりで行かなあかんから寂しくて。「私も一緒に海に行きたい」って思いながら仕事してた。

 若い観客が集まる場を作ろうと、大﨑さんがプロデューサーとなって、86年に心斎橋筋2丁目劇場をオープン。114席のわずかな客席が埋まらなかった状態から、劇場発信の『4時ですよ~だ』(毎日放送)というバラエティ番組をスタートさせてから大きく火がつき、メインMCだったダウンタウン、出演していたハイヒール、今田耕司、東野幸治などの人気が爆発。新しい笑いの潮流を作るまでになった。