あっという間に皿が空いたので調子に乗って、ナスと挽肉の油炒めと厚揚げのうま煮を追加。お昼の時間を逃してしまったこともあり、同行者ともども腹が減っていたのだ。当然、ビールも追加する。
料理が出揃い、頃合いのいいところを見計らってご主人にお話を聞けないかと奥様に話しかけてみる。すぐに出てきてくださった店主の山田誠一さんは、マスク越しだと40代に見えるが、昭和38年生まれの56歳だそうだ。
45年前に三鷹に移ってきた
「もともと父が、池袋の要町というところで同じ名前の店を開いてましてね。いま要町駅がある場所の真上にあったんです。でも有楽町線を通すということで、区画整理で動かされちゃって。で、こっちのほうに来たんですね。ここに来てからは、もう45年ですか。僕が11歳のとき、小学校5年生でした」
以来、この地で営業を続けてきた。つまり誠一さんは2代目ということになる。ただ、必ずしも親の跡を継ごうと熱い情熱を持っていたわけではないようだ。
「すごい適当だったので、大学を卒業しても就職がなくて、なんとなくここで……という感じですか。天職だと自覚したこともありませんし、ただ商人の息子ですから、簡単な調理とか配膳とか、店を手伝って小遣いをもらったりとかはしていたので」
20代で店を継いだときの記憶
25、6歳のころ、知り合いに紹介された虎ノ門の中華料理店へ修行に出る。やがてお母様が急逝されたことを契機に店へと戻り、以来ずっと切り盛りし、店を続けている。20代で店を継ぐのは大変だったのではないかと聞いてみたところ、「そうですねえ。まあ、でも、適当なんであんまり考えてない(笑)」との答え。
「やっぱり自営業だと、父が仕事をする姿をずっと見てて、その間、高校、大学と遊ばせてもらってるわけだから、罪悪感のようなものはなんとなくありましたけどね。でも、だから意気込んでいるというわけじゃないですけどね」