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江戸の“融合文化”を活かした、唯一無二の「湯屋」へ

 それにしても、どうしてここまで未知で予測がつかない「温浴施設」をあえて選んだのか――。そこには、生まれ育った下町・両国に対する愛情と思い入れが色濃く影響しているという。

「両国は鋼鉄商社がたくさんある、鉄の町だったんです。街ぐるみで『1993年には江戸東京博物館ができて、その翌年には地下鉄大江戸線が開業するから、北斎通りを駅前通りとして発展させよう』と区に提言されまして。じゃあ私は何の商売をしたら地域に貢献できるかなって考えたんです。

 江戸の文化というのは素晴らしい融合の文化で、都市設計にしても外国に負けないくらいのデザイン力がありましたし、庶民生活でも文化を大事にして、職人もいっぱいいたわけですよ。それで、『江戸文化の名残であるお風呂屋さんがこの街にあると素敵だな』と思ったんです。いまもこの街には、切子やお神輿、あとは木工や屏風の職人がいます。だから『江戸遊』の内装には、そういう職人さんの技術もたくさん入れて頂いているんです。

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フロントロビーでは、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』が。
フロントの壁面には、江戸切子
靴箱。その他にも内装には、随所に職人技が光る

 地元の皆さんに生活の一部として使っていただき、下町の文化を継承する。そうやって、生まれ育った地域に貢献したいなと思いました」

 しかし、オープン当初は決して順風満帆な船出ではなかった。開業までどうにかこぎ着けた『江戸遊』だったが、出だし早々“試練”がやってくる。