1960年代に日本大学芸術学部写真学科に入学。地元の両国から自由が丘の女性専用サウナにマイカーで通うアヴァンギャルドな女子学生は、結婚・出産を経て、48歳にして温浴施設を起業する。女性のための施設を志し、全くの素人からスタートした『両国湯屋 江戸遊』が人気施設になるまで、オーナー・平井要子のサウナ人生もまた、波乱万蒸だった――。
<「サウナは“男のもの”でした」サウナ大好き日芸卒女学生が、女性のための湯屋『江戸遊』を創るまで から続く>
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開業早々のピンチに現れた救世主「お金はいらない。僕に営業をやらせてくれ!」
「期待していた大江戸線の開通も3年延びて、バブルが崩壊……。開業したばかりだから当然知名度はないし、繁華街でもないから人の出入りもない。もう本当に散々で、大変でしたよ。業者さんからは『江戸遊さんはいつ潰れるかね?』って言われてました。色々自分でもやりながらどうやったらお客さんが来るのか、毎日悩んでましたね」
しかし48歳での起業は伊達じゃない。そこから平井は持ち前の行動力と独自のネットワークを駆使し、難局を少しずつ乗り越えていく。
「最初はお客さんが来ないから、本当に試行錯誤の連続で。宣伝も今みたいにネットも何もないから、チラシからスタートしました。それでも自分なりにアートワークや外観にこだわったことを打ち出していったら、だんだんと雑誌の取材が入るようになりはじめたんです。そこから少しずつお客様がいらっしゃるようになって」
苦労しながらも温浴業界に新しい風を吹き込もうとしていた平井社長。彼女は当時体験したこんなエピソードを語ってくれた。
「ある日に、うちの求人を見たって人が『お金はいらないから僕に営業をやらせてくれ!』ってやって来られて。『こんないい店なのに、お客が全然いないのは勿体ない!』とまで言ってくれたんです(笑)。あまりに突然だったんで、ちょっと不安でしたが、お願いしてみることにしたんです。そしたらその方は営業のプロで、色んな所からお客さんを連れてきてくれたんです。本当に凄かった。そういえば、彼は『どんな壊れたものでも売ってみせる』って豪語してました(笑)」
彼も女性経営者として懸命に仕事をする平井の姿に、心打たれた一人だったのかもしれない。