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――地上では主に8ミリカメラを使われていたようですが、iPhoneと使い分けた理由は何でしょうか。

小田 8ミリでの撮影に対する憧れがあったのと、もうひとつの理由としては、編集での選択肢を増やしたかった。現地の人にいろんな話を聞いていくなかで時制を自由に遊んでみたくなったんです。8ミリで撮るとノスタルジックになると言ってしまうと短絡的ですが、やはりiPhoneで撮ったのとは違うルックになる。その違いを利用して、過去・現在・未来という時制を自由に遊べないかなと思ったんですね。

©Oda kaori

常に自分の外にあるイメージに耳を澄ませていった

――録音もiPhoneで行ったんでしょうか。

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小田 水の音に関してはiPhoneで録りました。その他の自然の音は、アシスタントの方がずっとフィールドレコーディングをしてくれていて、そこから録った音を足したり引いたりしています。

――本当にいろんな音が重なっていますよね。最初の方で牛の鳴き声のような音が重なってきたり。『鉱 ARAGANE』ではそうした音の重ね方はしていなかったと思いますが。

小田 あれは猿の声なんですよ。『鉱 ARAGANE』では、同時録音したものをちょっと整えたりはしていましたが、基本的に私ひとりで撮影も録音もしていたので、全く違う音を重ねるということはほとんどしていないですね。

――『セノーテ』ではなぜそうした音の重ね方をされたのでしょう。

小田 自由な選択をできる素材が実際にたくさんあったということですね。あとは自然のなかで聞こえてくる音がたくさんあった。イメージによって構成できるものと、イメージが介入できない部分を音によってバランスをとる。そういうことに今回挑戦してみたと言えるかもしれません。でも挑戦というよりは、遊んだという気持ちのほうが大きいですね。

©Oda kaori

――この作品は、前作に比べても物語の要素が大きいですよね。見ていて果たしてドキュメンタリーと言っていいのか、壮大な物語だと言える気もしたのですが、監督としてはどのようにお考えですか。

小田 フィクションや実験映画のようだと思う人もいるかもしれませんが、私が見たり聞いたり体験したものに忠実に作るという意味では、ドキュメンタリーと呼んでもいいのかなと。自分の頭の中にあるイメージを映画化していくのではなく、常に自分の外にあるイメージに耳を澄ませていったわけなので。カメラの前にあるのはすべてそこに存在するもの。再現してもらったものはあってもいっさい作られたものはありません。朗読された文章は私の創作ですが、それも本や現地の人から聞いた話を基に書いたものですし。