文春オンライン

iPhoneと8ミリカメラがうつしとった、マヤ伝承と泉の世界

『セノーテ』小田香監督インタビュー

2020/09/18
note

撮ることで始めていくしかなかった

――『鉱 ARAGANE』でも、最初はカフカの短編を映画化するつもりだったそうですね。もともとドキュメンタリーを撮りたいということで映画を作り始めたわけではないのでしょうか。

小田 最初は何も考えていなかったです。自分の制作方法にあてはまるものが今のところドキュメンタリーと呼ばれるものなんだと思います。一番はじめの映画制作が『ノイズが言うには』(2011年)という自分のカミングアウトについての作品なんですが、これもカメラをまわすことでみんなが自分自身を演じていくんですよね。とにかくやってみないことには物事は何も動いていかないんだ、という気持ちが強くあるんだと思います。

©Oda kaori

 最初の作品を作り終えたあと、次に何を撮ればいいのかわからなくなり、そこから映画について勉強していったんです。でもやっぱり全然わからなかった。だからとにかく色々なものを撮ることで始めていくしかなかった。最初から何か伝えたいものがあるというよりも、撮りながら考えていく。そういう作り方をずっとやってきたなと思います。

ADVERTISEMENT

――まずはそこへ行きカメラをまわすことからすべてが始まるわけですね。そのときに監督が「これを撮りたい」と思う対象は場所そのものなのでしょうか。それともそこにあるものや人なのでしょうか。

小田 場所と、そこにある人の気配が大きいですね。人は必ずしもイメージとして映っていなくてもいい。その気配や生活、歴史が垣間見える、そういう空間や風景が好きです。

©Oda kaori

――セノーテにもやはり人間の気配があったということですか。

小田 自分にとってはそうです。そこで死んでいった人たちの記憶というものも含めて、やはり人の気配に惹かれたんだと思います。

――別のインタビューでは、いつか宇宙空間でも作品を撮ってみたいとおっしゃっていましたが、それも景色というよりそこにいる人間に興味があるんでしょうか。

小田 そうですね。もし宇宙に行けるなら、そこで働いている人や宇宙から見た地球の人間をどう撮れるのか、そこに興味があります。