近年の日本では、ヘイトスピーチ解消法が施行されるなど、ヘイトクライムという言葉が浸透しつつあるが、これは、人種、宗教、ジェンダー、性的指向をはじめ、特定の属性をもつ人びとに対する偏見や憎悪をもとに、危害を加える行為を指している。フェミサイドは、例えば人種的憎悪に基づく黒人の殺害などと同様、重大なヘイトクライムの一種と言える。
フェミサイドの概念を用いる最大のメリットは、これまでそれぞれ異なる個別的な事件としてのみ捉えられてきた女性の殺害を、ジェンダーに基づく暴力の問題として捉えなおし、社会全体で取り組むべき課題として焦点化できることにある。
被害者女性のことをモノのように認識していたのではないか
さて、フェミサイドは、ひとりの人間の生命を絶つという意味で、ジェンダー暴力のひとつの究極の形態だ。今回、福岡市で発生した事件は、そもそも他者の人格を無視して、自らの欲望(性欲および支配欲など)を一方的に満たそうとしたことが殺人の直接的な契機となったと考えられる。
その上で抵抗されたから被害者の上半身を包丁で何度も刺したというこの事件の容疑者には、目の前の女性をひとりの血の通った人間として想像する能力が欠けており、被害者女性のことをまるで人格や尊厳を持たないモノのように認識していたように思われる。
私たちはこの事件を、単なる非行少年の暴走として捉えるのではなく、フェミサイドとして、社会全体で解決すべき課題として捉えなおす必要がある。そのためには、女性を欲求充足のための道具のように扱ったり、人格と尊厳を持った自由な存在だということを否定したりするような文化や言動に対して、私たち(とりわけ男性たち)ひとりひとりが常に警戒し、それらを止めるよう努める必要がある。
もちろん、フェミサイドは日本固有の問題ではない。フェミサイドと闘おうとする女性たちの声は、この瞬間も、大きなうねりとなって世界中の多くの国で響いている。
ソウルの「江南 通り魔殺人事件」を思い起こさせる
フェミサイドに対する女性たちの抗議運動は、近年、世界中で拡大をみせている。それぞれの国で取りざたされるフェミサイドの形態は異なるものの、こうした動きは欧米のみならず、ラテンアメリカやアジア、アフリカでも広がっている。
ところで今回の福岡市の女性刺殺事件は、4年前に韓国・ソウルの江南駅近くの公衆トイレで発生した殺人事件を思い起こさせる。韓国の事件においても、刺殺された被害者は女性であり、犯人は面識のない男性だった。犯人は殺害の動機として、「日ごろから女性に見下されていた」と語ったため、裁判においてはこの殺人が女性嫌悪に基づく犯行として認定されるか否かが、社会的関心を集めた。