血みどろの写真が展覧会に! なのにどうして? 「津山三十人殺し」が報じられなかった理由とは>から続く

 当時、日本で唯一の国策通信社だった同盟通信(共同通信・時事通信の前身)は国内地方紙と海外通信社・新聞社にニュースを流していた。それは「公式」といっていい発表報道だ。配信ニュースのダイジェストである「同盟旬報」に事件が載っている。

《28名を射殺》

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【5月21日】岡山県下の28名射殺事件に関し、内務省に左のごとく公電があった。(萱場岡山県知事より午前8時、内務省宛て公電)岡山県苫田郡西加茂村大字行重775、農(業)都井睦雄(22)は本日午前2時40分ごろ、発作的に精神異常を来し、自宅にありたる猟銃を持ち出し、隣家の女性(50)を射殺し、これを制止せんとする近隣の者を狙撃し、計28名即死。重軽傷3名を出し、本人は銃携帯のまま、付近山中に逃走。

犯人・都井睦雄はなぜ事実と異なる「ストーリー」に押し込められたのか(「津山事件の真実」所収「津山事件報告書」より)

《犯人山中で自殺》

【5月21日】殺人鬼睦雄は凶行後、一時同村山深く逃げ込んだが、大山狩りにあって、もはや逃れぬところと観念してか、山林中で所持の鉄砲をもって自殺を遂げているのを、正午ごろ、山狩り隊が発見した。なお、凶行原因は失恋による計画的犯行との説もある。

 当時、警察は行政の一部機関(警察部)で内務省の管轄(警察部長は内務官僚)だった。だから知事から内務省宛てというのは正式のルート。それが発生間もないとはいえ、「発作的に精神異常を来し」「制止せんとする近隣の者を狙撃」というのはかなり事実と違っている。のちに、睦雄が凶器を準備し、地域内の電線を切っていたことなどから計画的犯行との見方に変わるが、それはつまり、その時代の大勢が求めた「ストーリー」だったのだろう。

東京日日新聞に掲載された、手書きの現場付近地図

「三十三名殺傷事件の現場を訪れて」で中垣検事は事件の日を振り返ってこう書いている。「この日、あたかも征途にあった皇軍(日本軍のこと)は、尊き犠牲者を出して徐州の快捷を勝ち得、挙国その感激に酔った時だった」。「そんな時に」というため息とも舌打ちともとれる感情が表れている。