「植民地」を持つということは、国民にとってどんな感覚なのだろう? いまの私たちには想像がつかない。現在の視点からはいろいろ批判があるが、かつての人々にとっては、誇らしく優越感が持てるのと同時に、解放感を与えられることだったのではないだろうか。

 今回の事件の舞台は、日露戦争の結果、日本の租借地となった中国・遼東半島西南端の関東州・大連。前年の1932年に造られた日本の傀儡国家「満州国」(現中国東北部)の入り口であり、アカシアの街並みのエキゾチックなイメージで日本人を引き付けた街だ。

大連はこんなイメージで子どもたちにも伝えられた(「少年倶楽部」1933年4月号より)

 

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 その高級住宅街の医学博士の邸宅で、博士と妻、妻の愛人2人が対決。愛人の1人が殺されて遺体が隠され、妻ともう1人の愛人は逃走し、博士は警察に自首した。いま起きてもワイドショーや週刊誌が放っておかないだろうスキャンダラスな犯罪。そこには、その時代と社会のさまざまな要素が影を落としている(今回も差別語が多く登場する)。

「稀に見る猟奇的犯罪事件」

「博士邸の怪殺人事件 満鐵(鉄)衛研児玉科長夫人を繞(めぐ)る 姦通・堕胎?暴露す」。大連の地元邦字紙「大連新聞」の1933年9月26日付(25日発行)夕刊は2面5段見出しでこう報じた。

「(大連)沙河口署では昨24日夜来、大連地方法院池内検察官の指示を仰ぎ、何事か重大事件勃発(ぼっぱつ)せるもののごとく刑事連を総動員して聖徳街方面に向かって大活動を開始した。事件の真相を探聞するに、元満鉄衛生研究所病理科長・医学博士・児玉誠氏夫人かつみ(28)が数月前より某青年と密通している事実を知り、現在市内に居住するルンペンが聖徳街1丁目35の博士邸2階で殺害し、これを聖徳街某方面に巧みに隠匿し、犯跡をくらましたところ、昨24日、はしなくもこの事実が沙河口署員によって探知されるに至ったものらしく、加害者氏名不詳のルンペンは巧みに犯跡をくらましているので事件の真相は判然としないが、加害者は現に市内に潜伏せるもののごとく、稀に見る猟奇的犯罪事件として多大のセンセーションを巻き起こしている」

事件の概要を報じた大連新聞

 記事は続き、「かつみ」は既に船で大連を離れ、郷里の長野県に向かっているとした。彼女は「姦夫の胤(たね)を宿し」流産したとのうわさがあるが「堕胎ではないかとみられ」とも書いている。「犯人は元より死体さえいまだに発見されない」難事件だとも。

 満鉄は日本の国策会社「南満州鉄道」のことで、大連に本社があった。ルンペンとは差別語だが浮浪者のこと。記事は発表前の情報をつなぎ合わせた特ダネとみられ、データや事実関係など、相当不確定な内容だ。同紙9月26日付朝刊になって事件の概要が見えてくる。

「猟奇と戦慄・博士邸怪殺人事件の全貌 憤激した児玉博士が 中園と協力して惨殺 美貌の勝美夫人をめぐる 四角関係の闘争」という派手な見出し。社会面ほぼ全面を使って報じている。