「若い男をもてあそぶ美貌の博士夫人」
勝美についての記事は「十指に餘(余)る若い燕(つばめ) 亂(乱)倫極まる勝美夫人」の見出し。「生来多情というよりは、むしろ淫乱な女性で、家をよそに連日連夜遊び回り、市内各ダンスホールはもちろんのこと、若いつばめを連れてはカフエー方面でもいっぱしのマダム気取りで浮名を立てたもので、同夫人をめぐる青年は十指にも余るといい、乱倫極まる生活を営み、近所とはちょっとの交際もせず、連日連夜若い青年を連れては社交場裡に胡蝶のごとく飛び回っていたもので、児玉博士の研究没頭で家庭を顧みないところから、こうした方面に走ったらしい」と、いまなら訴えられそうな内容だ。
「愛人」の2人についての記事もある。船員をやめた中園については、「とても色男でモダンボーイですなあ」という海員組合関係者の話を紹介。一方、青柳の弟は涙を浮かべながら「兄は実に真面目な男でして、一度だって外泊したことはありません」「女の方は一、二度家に来られたことがありますが、とても淫奔な人です」「兄の日記を開いてみても、一つも女が好きなようなことは書いてなく、ただ『女が嫌だ嫌だ』と記してあります。私にも常に『嫌な女に食いつかれたものだ』と申していました」と語っている。
別項で「夫人の誘惑を拒み兼(か)ねた 殺害された青柳貢」の見出しの記事もある。「生来音楽が好きで、特にピアノがうまく、市内のダンスホールに出入りするうち、ピアノ教師・佐藤みわ女史の紹介で児玉博士夫人勝美さんを知り、純な交際を続け、時々言い寄ってくる甘い夫人の言に耳も貸さずにいたが、三度誘われれば一度はといったわけで、相伴をしてホールやカフエーなどに出入りするうち、次第に二人の仲は進展していったのであった」と書いている。
同じ9月26日付朝刊では「満州」の邦字紙「満洲日報」(のち「満洲日日新聞」と改題)も、「情痴の世界に狂ふ(う) 血腥(なまぐさ)き殺人事件 夫人の愛慾(欲)に踊る 愛人二人の葛藤」などの見出しで事件を報じた。
「内地」の新聞も報道。東京朝日(東朝)は社会面トップで「大連バラバラ事件 醫(医)博邸の怪殺人 下手人は児玉博士か 莫連女の家からトランク詰死體(体)」の見出し。東京日日(東日)も「死體をバラバラ 醫學(医学)博士の殺人 夫人の戀(恋)愛遊戯、血の破局」の見出し。
東朝は犯行について「犯人は夫人との関係を憤慨せる博士の仕業なりともいわれ、あるいは、青柳某のほか、結婚前の知り合いの中園某に2名の愛人あり、夫人をめぐるさや当てからさる5日夜、博士邸で大げんかのすえ、中園某が青柳某を隠し持ったあいくちで、博士及び夫人の面前で殺害したともいわれている」と書いている。
ここまでの段階で各紙には、加害者として「ルンペン」が登場、夫人の愛人の1人を「大塚(秀雄)」とする記述が見られる。夫人は「女中」と逃亡したと伝えた新聞も。東朝と東日が「バラバラ」と書いているのも目立つ。
それは、記事の根拠が、児玉の供述を中心にした警察・検察の非公式情報だったためだろう。本人も全容を語っていなかったと思われる。前年1932年に起きた「玉ノ井バラバラ事件」(「昭和の35大事件」に掲載)の衝撃が残っていたためかもしれない。
共通していたのは「若い男をもてあそぶ美貌の博士夫人」というイメージを読者に刷り込み、興味本位の読者の受けを狙う新聞の態度だ。