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連載昭和事件史

愛人の死体をトランクに…「乱倫極まる美貌夫人」をめぐる四角関係が生んだ猟奇殺人とは

愛人の死体をトランクに…「乱倫極まる美貌夫人」をめぐる四角関係が生んだ猟奇殺人とは

美女の誘惑が運命を変えた「児玉博士邸事件」 #1

2020/09/27
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高野山で死に切れず逮捕

 この間、勝美と中園は逃走を続け、大阪の旅館に宿泊したことなどが判明したが、9月28日には勝美の実兄方に「今回のことで到底生きておられないので、覚悟を致しました」という遺書とみられる手紙が届いた(9月29日付東朝朝刊)。

 勝美と中園の所在が判明して逮捕されたのは9月29日。場所は和歌山県・高野山だった。「勝美夫人と中園 高野山で心中を圖(図)る」の見出しは9月30日付大連新聞夕刊。「【東京特電29日発至急報】疑問符を背負うて全国的捜査網をもぐり転々逃れつつあった中園秀雄と勝美夫人は29日午前10時、紀州高野山野で心中を図り、高野警察署に逮捕された。これにより、事件は急転直下、解決へ急ぐであろう」、「【大阪29日発国通(国際通信社)至急報】28日夜、高野山北室院に宿泊した男女二人連れの客が29日払暁、服毒自殺を企てたので、同院ではすぐ高野署に届け出たが、人相その他により中園と勝美両名らしいので、急報により係官出張。生命に別条なし」。同紙には「勝美は、一日も早く死んでくれることを私は祈っている」という兄の談話が掲載されている。

 東朝も社会面トップの扱い。「死に切れず苦悶 北室院へ舞戻る」の見出しの【和歌山電話】の記事はこうだ。「26日午後9時ごろ、和歌山県・南海高野線で紀州・高野山に登山した男女あり。神戸市湊町2丁目182、吉本嘉蔵、妻みつ子の名で北室院へ一泊。翌27日午前8時ごろ、奥之院へ参詣すると称し、僧料(宿泊料)5円を置いて出発。その後、奥之院付近の山林をうろついて、両名アダリン(睡眠薬の商標名)を飲下、自殺を図ったが、分量が足らなかったので目的を達し得ず、苦悶のすえ、29日午前2時ごろ、再び北室院に舞い戻り一泊したが、挙動に不審の点多く、同院では同日払暁、高野署にその旨を急報」。刑事の取り調べにも容易に供述しなかったが、寝床から大連の検事局に送った事件の告白書の控えを発見。追及したところ、本人と認めたという。

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中園秀雄と勝美(「主婦と生活」1933年11月号)

 告白書は「凶行の事実を認め、その動機として、昭和6年2月ごろ、大連市聖徳街のある広場で青柳貢のために強姦され、その後、今日までに脅迫的に情交を強いられ、その後は自宅に青柳がしばしば来り、種々の難題や脅迫をするため、遂にこの凶行に及んだ」と書かれていた。

 東朝は9月30日付朝刊でその告白書を写真入りで全文掲載。そこで勝美は「色魔団の団長、ゴリラの顔のような青柳貢」と呼び、犯行を「女として一大復讐をなせし結果になれることを喜んで記すなり」と書いている。

 中園とは児玉と結婚する前からの知り合いだが「全然清い交際である」と強調。事件当夜は、青柳の手下と思われる男2人が乱入してきたので、中園を呼び寄せ、中園と青柳がもみ合いになったすえ、中園がその場にあった出刃包丁で青柳を刺したと述べた。終始児玉と中園をかばい、青柳を非難。新聞報道を強く批判する内容だった。

 これに対し、別項の記事で、大連沙河口署は「『告白文は虚構』 大連では一蹴」(見出し)の態度。1)勝美と青柳の関係は、むしろ勝美の方から執拗に追いかけ回し、青柳の方はむしろそれを避けることに努めていた、2)凶器は用意された短刀――などと反論。「おそらく中園から入れ知恵されて勝美が執筆したものだろう」とした。