「9月23日午後10時ごろ、沙河口署へ一紳士ふうの男が顔青ざめ自首して出たので、宿直の板津警務主任が調べ室に入れ調べると、右は市内聖徳街1丁目35、本月23日辞任した満鉄衛生研究所病理科長、医学博士・児玉誠氏(40)で、重大な陳述をしたので、直ちに児玉博士を殺人被疑者として留置し、大連地方法院検察局へ報告。その指揮をあおぎ、司法刑事を総動員。大活動を開始した。事件の内容は極秘に付されているが、博士愛妻勝美(28)が家庭の冷たさ満たされぬ心を抱いて、ダンスホールに入り浸っている中、ダンスファンの市内対馬町62、満鉄商事部用度課計算係傭員・青柳貢(27)と知り合い、いつか人知れず恋のステップを踏む仲となり、夫婦気取りでホール通いに憂き身をやつすうち、多情の勝美夫人は、同じくホールへ出入りする元大連汽船博進丸司厨長・中園秀雄(30)とも通じ、美貌の人妻をめぐって四角関係の争闘がシャンデリアの下に演ぜられ、いつしか学究の徒、博士の耳にも入り、憤激した児玉博士は9月7日午後12時、博士邸階上6畳の間で、嫉妬に逆上せる児玉博士は中園と協力。青柳を惨殺し、死体は長さ3尺のトランクに詰め込み、中園の情婦、市内土佐町40、裁縫業・横山きみ(36)方の中の間4畳床下に隠匿していたという、聖代にあるまじき奇怪な情痴の殺人事件が主犯児玉博士の自首によって判明したもので、嫉妬の凶刃に倒れた青柳の死体は既に腐乱して25日午後6時発見され」「共犯関係にある中園は死体詰めトランクをきみへ隠匿方を依頼したまま逃走。行方不明なので、沙河口署は指名犯人として手配捜査中である」
社会面のほぼ全面を使い、勝美や青柳の顔写真、横山きみ宅、トランクの写真も載せた報道はすさまじい。「メスで一江ぐり…… 死體(体)は切り刻んで運搬」と「江」に変体仮名を使った見出しの記事は、犯行の模様を臨場感たっぷりに書いている。
遺体はトランクに詰め込まれ…
「被害者の青柳は共犯の中園を伴うて児玉博士邸を訪問。博士に招じられて階上へ上がったが、1時間ほどして勝美夫人同席の場で、博士は中園、青柳を面前に据えて不都合を語ったところ、青柳は勝美夫人から誘惑したので陳謝する理由がないと放言。青柳が出現するまで夫人の愛寵を受けていたが、青柳と知ってから秋風を吹かせられている中園まで罵倒したので、児玉博士は逆上。中園まで加わっての大格闘となり、メスを振るって一太刀。急所をえぐられた青柳はあっと悲鳴をあげて階下へ逃れようとした瞬間、はしご段から真っ逆さまに転落。うんと一声絶命した。勝美夫人の眼前で姦夫を惨殺せる児玉博士は、中園に手伝わせ、博士執刀の下に青柳を切り刻んでありあわせのトランクに詰めたが処置に困り、協議の結果、中園が万事引き受けることとなり、翌朝中園が馬車に積み、死体詰めのトランクを情婦の横山きみ方へ情を明かして隠匿を依頼。そのまま逃走した。一方、児玉博士は凶行現場を夫人らに手伝わせ、きれいに洗い上げたのち、まず勝美夫人を13日大連出帆のうすりい丸に乗船。市内仲町60、児玉初枝(28)と仮名。鎌倉方面の温泉へ逃走させ、その後を追うべく20日、家事の都合を理由に辞表を提出したが、悶々良心の呵責(かしゃく)に耐えかね、遂に意を決して自首し出たもののようである」
「事件の関係者を語る」という別項の記事中、「門下中の秀才組 先師草間博士語る」では児玉博士の経歴が詳述されている。
実家は長野県の郷里では土地きっての素封家で兄は県会議員。本人は千葉医専(現千葉大医学部)卒業後、北里研究所に入り、のちに慶応大医学部教授となる草間滋博士の指導の下で研究。ドイツ留学を経て黄疸の病理研究で博士号を取得した。草間教授の推薦で満鉄衛生研究所の病理科長として赴任。「その際、郷里から勝美夫人をめとって帯同した」。病理学論文は世界的名声を博し、神経系統病理学研究の世界第一人者とうたわれ」ているとしている。
別項の「満洲チフスの権威 児玉博士の人となり」の記事では「最近2、3年は満州チフスの研究に没頭し、努力報いられ昨年、遂に満洲チフス菌の病原体(リケッチア)を発見。本年4月、医学界の名誉を表彰する浅川賞を受領」したと書いている。