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 対して津山三十人殺しにはそうした“救い”は全くない。日中戦争下の農村社会に大きな傷を与え、住民の感情も行き場がないまま、事件と都井睦雄の存在を忘れることしかできなかった。事件は、やがて来る戦争に覆われた暗い時代だけでなく、因習と地縁血縁に絡め取られた農村社会の崩壊まで暗示していたようにも思える。

「津山三十人殺し」をオウムがオペラ化!?

 事件が人々の関心を引き付け続け、「殺人伝説」となった理由を整理して考えてみよう。

1) 犠牲者が極めて多数
2) 被害者の死亡率が高い→凶器の威力が強力
3) 背後にドロドロした男女関係や地域の人間関係がひそんでいる
4) 容疑者が自殺して詳しい動機が不明
5) 山村の閉鎖社会が舞台
6) 報道が限定され、多くの国民には「幻の事件」だった

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 まとめて考えてみると、世界的にもまれな犠牲者の多さと、睦雄と地元の女性たちの真偽入り混じった性的関係が猟奇的な関心を集めたのは確かだが、それも含めて、残虐なのにもかかわらず、事件からは、どこか現実離れした夢幻的な感じを受ける。本当に起きたことなのかどうか、曖昧模糊(あいまいもこ)として分からない。そんな印象が付きまとう。猟銃を改造し、猛獣用の銃弾を使ったことで殺傷能力が数段アップしたことも影響したかもしれない。被害者のほとんどは即死で、苦しむ姿を見せていない。睦雄自身「人間はこんなに簡単に死ぬものなのか」という驚きがあったのではないか。新聞報道が限定的だったことも「伝説化」に輪をかけたのは間違いない。

犠牲者の遺体に手を合わせる遺族たち(「決定版昭和史8」より)

 鈴木淳史「歌劇『津山三十人殺し』上演史」(「クラシック・スナイパー4」所収)は、(1)ある作曲家が事件をオペラ化。戦後から最近まで何回か上演された(2)中には、オウム真理教(文中では「オウメ真理教」としている)が設立したオーケストラも含まれている(3)教団の教義である「ポア」(殺人ではなく魂の昇華だという考え方)が込められていた―とする内容。

 私は1995年初頭から地下鉄サリン事件を挟んで麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚逮捕まで、共同通信社のオウム担当デスクだった。オウム真理教が音楽に強い関心を抱いていたことは記憶にあるが、三十人殺し事件のオペラを手掛けていたとは全く知らず、驚いた。著者に確かめると、内容は「完全な創作」だと言う。「この事件には昔から興味があって、これがオペラ化されたらどんな音楽になるのだろう、それはどのように上演されたのだろう、さらにいかなる評価がされるのか、などといった妄想が結実したものといったらいいか」。これもまた事件が夢幻的であることの証明かもしれない。

 思えば、「八つ墓村」の映画化作品の大量殺人シーンにはおどろおどろしい音楽が添えられ、事件を基にした西村望のノンフィクション小説「丑三つの村」(1981年刊)を原作とする同名映画(田中登監督、1983年)の同じシーンは音楽なしだった。だが、考えてみる。例えば、あのシーンに、静かなクラシック音楽を流してみれば、それは現実離れした夢幻的な出来事として、印象はさらに強まったのではないだろうか。そうした妄想も事件が伝説から伝承に近づいている表れかもしれない。

事件に漂う現実感のなさが、「津山三十人殺し」へのイメージを加速させていった(写真はイメージ) ©iStock.com

【参考文献】
▽横溝正史「八つ墓村」 角川文庫 1971年
▽「横溝正史自選集3」 出版芸術社 2007年
▽山口直孝「『八つ墓村』の着想から完成まで」=「横溝正史研究6」(戎光祥出版2017年)所収
▽司法省刑事局「津山事件報告書」 1939年=事件研究所「津山事件の真実第三版」所収
▽「岡山県史第12巻近代3」 岡山県 1989年
▽「日本歴史地名大系34 岡山県の地名」 平凡社 1988年
▽「改政一乱記」=「日本庶民生活史料集成」第13巻(三一書房1970年)所収
▽加太こうじ「昭和犯罪史」 現代史出版会 1974年
▽中村一夫「自殺 精神病理学的絞殺」 紀伊国屋新書 1963年
▽鈴木淳史「歌劇『津山三十人殺し』上演史」=「クラシック・スナイパー4」(青弓社2009年)所収
▽「決定版昭和史8」 毎日新聞社 1984年

編集部注:文中に一部誤りがあり加筆修正しました(9/14)