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“2児の父”麒麟川島明41歳に聞く「ゲーマーの川島さん、子どもにゲームをせがまれたら買ってあげる?」

『ぼくをつくった50のゲームたち』#2

2020/09/13

 芸能界随一のゲーマー、麒麟川島明さん。その川島さんがこれまでにプレイしてきた50本のゲームの思い出を綴った単行本『ぼくをつくった50のゲームたち』が発売される。『ドラクエ』、『マリオ』、『くにおくん』、『キャプテン翼』……ファミコン世代にとって“懐かしすぎる”カセットが並ぶ。最近も1日2、3時間ゲームをするという川島さんに聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)

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雨上がり決死隊のラジオに出会って“ハガキ職人”に

――このような本を出してしまうくらいゲーム好きだったのなら、芸人の道ではなく、ゲームクリエイターを目指そうと考えた時期もあったのでしょうか。

川島 それはなかったですね。まだ、ゲームクリエイターなどという言葉もなかったですし、職業としてのイメージはなかったので。異世界ですよね。それよりも、関西にいたら、芸人をテレビで観ない日はないので、憧れの対象としては身近でした。

麒麟・川島明さん。単行本『ぼくをつくった50のゲームたち』が発売される ©️文藝春秋

――普通の感覚ですと、芸人の道も相当ハードルが高い気がしますが。

川島 生まれた地域にもよると思いますよ。僕は京都で生まれ育ったので、吉本の芸人さんをいつもテレビで観ていましたし、家族もお笑い番組が好きだったもので。それで、ちっちゃい頃から、芸人さんってカッコええなと思っていたんです。漠然と、芸人さんになるんやと。

 単なる憧れから一歩踏み出したのは、中高生になって、ラジオを聴くようになってからですね。雨上がり決死隊さんとバッファロー吾郎さんがパーソナリティーを務める『京都発! よしもと決死隊』(KBS京都)という番組があったんですけど、それがメチャクチャおもろくて。この人たちと仕事したいと思えたことで、夢がより具体的になったんです。この人たちにハガキを読んで欲しいという一心で、“ハガキ職人”にもなりましたから。それが芸人のトレーニングであり、僕の就職活動みたいなことだったんだと思います。

©️文藝春秋

昨年、久々のM-1はいかがでしたか?

――麒麟の芸人生活と言えば、5度決勝に進出し、3度3位になったM-1を抜きに語ることはできません。昨年のM-1では初めて舞台裏のレポーターを務めていらっしゃいました。立場は違いますが、久々のM-1の現場はいかがでしたか。