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武道に「再戦」の文字はない。

 渋る山崎に、大山は諭すように言った。

「きみ、一度、刀で斬られて死んだ人間が生き返って試合をするのかね? 闘いにおいて、再戦なんてあり得ないんだよ。初戦がすべて。斬られたら死ぬ。負けたら死ぬんだ。だから2戦目の勝敗なんて関係ないんだ」

 初戦は命懸け。再戦は余興である。山崎は師の言葉に納得した。

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 観衆は6000人(主催者発表)。1部の歌謡ショーはお祭りムードだった。人気歌手がそれぞれの持ち歌を披露し、ジェリー藤尾の『聖者の行進』で幕を閉じた。

カンナンパイとの再戦が組まれた大会のポスター。山崎との試合が「売り」だった 提供・山崎照朝氏/東京新聞

 2部はキックボクシング。メインのリングに上がった山崎はこれまでとは違う、カンナンパイに習ったキックボクシングスタイルで闘った。最後は巴投げを繰り出すなど、まさに余興。2カ月前に「タイ人に前蹴りを効かす」と挑んだ、あの殺気のかけらもない。

 結果は判定負け。初の敗北となった。

 試合後、カンナンパイはこんなことを言っている。〈「きょうの山崎はこの前のようなすご味はなかった。どうかしていたんじゃないの…」〉(『日刊スポーツ』1969年6月25日付)。山崎の心をカンナンパイは感じ取っていた。

 武道に「再戦」の文字はない。これは負け惜しみではない。大山の思想に基づく。もうこれ以上キックのリングには上がらないと心に誓った。

 ところが、思わぬオファーが届く。全日本王者となった直後、「極真の竜虎」として黎明(れいめい)期を一緒に支えてきた添野義二からの出場要請だった。

「俺の地元でプロモーターとして興行を打つからさ。頼むよ、出てくれよ」

「もうキックには出ないと決めているから」。あっさり辞退した。

 添野は山崎の心が揺らぐ「隠し玉」を用意していた。

「おい、おまえの相手はサマンで考えているんだよ」

 対戦相手の名前を聞くと山崎の胸がときめいた。

「サマン? 本当か?」

「ああ、あのサマンだ」

「おお、いいよ。やってやるよ」。試合や大会に価値を見いだせず、ただ己の空手道を追求する山崎にとっても、闘志をかきたてられる相手だった。