この夏、テレビをつけると阿久悠の特番に遭遇することが多かった。今年は阿久悠の没後十年にあたる。
日本テレビも『24時間テレビ』のドラマスペシャルで、『時代をつくった男 阿久悠物語』を放映した。主演が亀梨和也と知り不安を覚えた。亀梨はこれまでその年齢や容姿に即した青春ドラマを演じてきた。それが今回は大物作詞家の若き日から壮年期、そして初老までを演じる。
これは博奕だ。さらに阿久悠と亀梨ではイメージが大違い。テレビに映る阿久は「パパの顔が怖い」と幼い息子が脅える迫力の人だった。あくまで爽やかでナイーブな亀梨君とは正反対の印象だ。
そんな難役を、亀梨は熱を込めて演じた。最初のうちこそ肩に力が入りすぎ、観る側の私も緊張したが、結婚して子供も出来、仕事も成功をおさめる壮年期になるにつれ、役柄になじんできた。妻の雄子さんを演じた松下奈緒の安定感ある演技の貢献度大だ。それと親友の上村一夫(田中圭)にだけ見せる魅力的な笑顔が印象に残る。
視聴率的にもドラマは成功した。ここからはアプローチの角度を変える。いまメディアが関心を寄せる阿久悠とは何者だったのか。ドラマの後半に至り、阿久は歌謡曲の第一線を退いていく。ヘッドフォンで曲を聴く時代になり「歌が変わってきた」と彼は悟る。みんなが一緒にピンク・レディーの曲を歌い、踊る光景は消えた。こうして“昭和の歌謡曲”の黄金時代が終息した。ドラマ制作者の意図は、ここにあるようだ。阿久の特集を組んだ雑誌やムックにもこうした発言は多い。
私の解釈は異なる。阿久悠の以前には、じつは牧歌的な昭和歌謡の時代があった。大物歌手だけが君臨するのでなく、小ヒット歌手を愛する聴き手も数多くいた時代だ。
阿久と『スター誕生!』はのどかな昭和歌謡の風景を一変させた。企画とプロモーションで、メガヒットを産みだす時代が到来した。家内制工業的な昭和歌謡は阿久という怪物(モンスター)に駆逐された。
そう感じる私が『阿久悠物語』を熱心に観た。なぜか。私のツボを刺激する曲に近年幾度か出会った。「昭和最後の秋のこと」「水中花」。調べると、どれも作詞者は阿久悠だ。決して大ヒットはしないが、少数の聴き手の心を濡らすマイナーポエット的な資質あふれる曲も書いていた男。怪物=阿久悠は古い昭和のテイストあふれる詞の作者でもあった。
▼『時代をつくった男 阿久悠物語』
日本テレビ 8月26日『24時間テレビ』内放送。