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目を見張る美意識! “石垣の博物館”金沢城に集約された「前田家のセンスと技術力」

2020/09/27

 金沢箔、九谷焼、金沢漆器、大樋焼、加賀友禅など、伝統的な工芸と芸能が息づく金沢。石川県は人間国宝が多い工芸王国です。その背景には、3代加賀藩主・前田利常、5代加賀藩主・前田綱紀が奨励した文化政策が影響しているといえるでしょう。

 江戸時代初期から庶民にも芸術に触れる習慣が根付き、独自の食文化も発展。前田利家を始祖とする加賀藩は、文化水準を高めることに労を惜しまなかったようです。

風情ある、ひがし茶屋街。

大大名としての気高さと美意識の高さ

 大大名としての気高さと美意識の高さは、居城の金沢城からも感じられます。金沢城の別名は「石垣の博物館」。ほかの城には見られない多種多様な石垣が、野外博物館のように城内のあちこちに積まれているのです。

 しかも、どれも独創的で美しいものばかり。城内を歩いていると、表情の異なるいろいろな石垣に遭遇できます。

復元されている、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓。
手前から、橋爪門と橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓。

多種多様な石垣が見られる「石垣の博物館」

 石垣は、天正11年(1583)に築城を開始した利家がすべて築いたのではなく、歴代城主により断続的に積まれています。文禄期(16世紀末)~文化期(19世紀初頭)まで、構築時期は大きく7期。前田家は美的センスに長けた一族だったようで、藩主が改修のたびにそれぞれ芸術的な石垣を生み出しています。

 ちなみに、明暦の大火後に江戸城の天守台を再建したのは5代・綱紀です。徳川将軍家の居城の天守台を任されたほどですから、石垣構築の技術力が全国トップクラスだったのは間違いありません。信長、秀吉のもとで築城技術を磨いた前田家の確かな実力がうかがえます。

薪の丸の石垣には、江戸切りと金場取り残し積みが見られる。

 いもり坂や薪の丸石垣群は、隅をシャープに整えた「江戸切り」という技法と、表面をでこぼこに削った「金場取り残し積み」が組み合わさり、野性的な雰囲気。一方で、数寄屋屋敷の切込接の布積みなどは、繊細ですっきりとした印象です。