絵のタイトルが曲のタイトルになった経緯
田中 最初の絵は「エアメール・スペシャル」というタイトルでしたね。絵にタイトルをつけてというのは、編集部からお願いしたんでしたよね。
和田 そうです。普段イラストレーターは絵を描いてもいちいちタイトルをつけませんから。2枚目が「センセーション」で、その次の「ネコふんじゃった」までは絵のタイトルを曲の題名から持ってこようとは思っていなかったんです。たまたま3つの題名が曲のタイトルだったから、それ以降、続けています。曲に合わせて絵を描くこともあるし、絵を先に描いて曲のタイトルをあとから考えることもあります。曲名は、あまりダブってないつもりだったんだけど、画集のカタログページを見たら、うんとダブってた(笑)。
田中 同じタイトルの別の曲というのもありますから(笑)。
和田 あと、秋になると枯葉を描くことが多いとか、描いたことを忘れていて、似たような絵を描いてしまうこともありました。魚介類が意外と多かった。
田中 いや、でもこのバラエティの豊富さには本当に驚かされます。このカタログは資料的な意味でも貴重ですね。
和田 病気や怪我で休んだことは、31年間一度もないです。
田中 それもすごい。
和田 風邪くらいひくけど、そのくらいなら描けます。人間ドッグにも年に1回行って検査していますしね。辛いのは長期の旅行のときと、たまにですけど、映画を撮るとき。映画は2カ月くらい拘束されますから。そういうときは描き貯めておいたり、合併号に合わせて旅行に行ったりしています。
田中 描き貯めるとなると、生活のリズムを圧縮しないといけないから大変そうですね。
和田 それに描くモチーフがそんなにポンポンと浮かぶわけではないですから。1週間くらい考える時間がほしいですね。庭にタヌキが出るとか、お土産で民芸品をもらいとか、情報提供があると助かります。あと、家から事務所まで45分毎日歩いて通っているので、その間に思いつくことが多いです。木に登って寝ている猫に出会ったりね。
談志さんが欲しがった目玉焼きの絵
――田中さんが編集長をされている期間中、一番印象的だった表紙はどれですか?
田中 やっぱり最初の「エアメール・スペシャル」ですね。目玉焼きの絵もよく覚えています。
和田 昔、文春画廊で表紙絵の展覧会をやったんです。そのとき、色川武大さんが立川談志さんを連れて展覧会に来てくれて。そしたら談志さんがその目玉焼きの絵を気に入って、売ってくれって言うんです。嬉しかったけど、いずれ画集ができることも予想してましたからお断りしたんです。ずいぶん経ってからも「あの目玉焼きはよかった」って言うわけ(笑)。
田中 シンプルで、立体感があって、いい絵ですよね。でも当時は、和田さんの表紙がここまで長く続くとは思っていませんでした。