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「こんなに細かい絵にしなきゃよかった」と後悔することも……和田誠さんが明かした「週刊文春」表紙の秘話

和田誠(イラストレーター)×田中健五(「週刊文春」元編集長)対談

source : 本の話

genre : エンタメ, アート, 読書

note

「週刊文春」の表紙を辞めたいと思ったことは一度もない

和田 僕は何も考えていなかった。今もそうだけど、ずっと編集長次第だと思っているんです。田中さんが写真から絵の表紙に変えたように、次の誰かが変えると言うかもしれないじゃないですか。でも、「写真にする」ならしょうがないと思うけど、「別のイラストレーターにする」と言われたらちょっと悔しい(笑)。

©文藝春秋

田中 ひとりのイラストレーターが31年週刊誌の表紙を描き続けるなんてギネスものですよ。

和田 いや、「ぴあ」の及川正通さんは33年描いているんですよ。でも初期の「ぴあ」は週刊誌ではなかったから、描いた数では僕のほうが勝っている(笑)。「週刊文春」の表紙を辞めたいと思ったことは一度もないです。文春と僕の関係がいいから。「週刊サンケイ」は似顔絵だったでしょ。誰を描くか編集部が注文を出すんです。たまに僕が「寺山修司が描きたい」と言っても、「そんな人誰も知りません」って言われちゃう。「知らないわけないだろ!」なんてことが何度かあって「辞めたい」と言ったんです。

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田中 文春は和田さんにおまかせだから。

2回だけあった編集部からの注文

和田 初めて編集部に注文を出されたのは、2000年1月頭の号。20世紀を総括するような絵を描いてくれと発注されたんですね。それで、いつもと同じB5サイズに20世紀全部は入り切らないと思ったので、「倍のサイズになりませんか」と僕からお願いした。これが片観音の始まりです。よく承諾してくれたと思うんですけど。あとは、その年はシドニー・オリンピックだということで、スポーツの絵を描いてほしいと言われた。注文を出されたのはこの2回だけです。

 
 

――年代順に表紙を眺めると、タッチの変化もわかります。

和田 初期はピアノをわざと歪ませて描いたり、貝がらの影が動物になっていたり、何かアイデアを付け足して描かないと持たないと思っていました。でもだんだん自分の中で、モチーフの持つ魅力をそのまま描くほうが、いい絵だと思えてきたんですね。初期の絵を見ると下手だなと思いますよ。今でもときどき下手だなと思うけど、その「ときどき下手」の度合いが減ったと思います。もちろん描いて提出するときは下手だとは思っていないんですよ。でも出来上がった雑誌を見ると「ちょっとなあ」と(笑)。

 

田中 和田さんが影響を受けた画家は誰ですか?

和田 「週刊文春」の表紙にはまったく反映されていないけど、ベン・シャーンとスタインバーグです。学生時代はマネしたような絵を描いてましたよ。事務所の壁にかかっているのは、ほとんどベン・シャーンです。多摩美時代、ファンレターを出したら、ものすごく誠実な返事がきました。「今、旅行中でタイプライターがないから手書きでゴメン」って書いてあって、アメリカの人はタイプで書いてサインだけ手書きのほうが丁寧だという意識があるんだなと思ってびっくりしてね。こっちは手書きのほうが何倍も嬉しいから(笑)。日本人だと、圧倒的に清水崑です。