「週刊新潮」への意識
田中 和田さんは「週刊文春」を始める5年ほど前は、「週刊サンケイ」の表紙を描かれていましたよね。
和田 「週刊サンケイ」は4年2カ月描いていました。よく4年もやったなと思っていたけど、「週刊文春」はもう31年ですから(笑)。
田中 新潮の谷内さんの絵は地方色が強かったですけど、和田さんは都会的でしたね。表紙を絵に変えたことには、「週刊新潮」を意識してというのも、やっぱりありました。
和田 「週刊新潮」とは発売日が同じでしたから、売店で谷内さんの絵と僕の絵が並ぶわけです。「週刊新潮」が創刊された当時、僕は多摩美(多摩美術大学)の学生だったんですが、あの表紙が大好きでスクラップしていたので、緊張もしたけれど、嬉しかったです。田中さんが編集長だったのは、何年間ですか?
田中 たった1年半です。
和田 僕が描き始めてから、今の編集長は12人目なんです。平均すると大抵3年くらいで替わっているんですね。それまでの歴代編集長の名前が書かれた蔵書票を表紙に描いたこともありました(2004年4月22日号)。すぐに気づいた編集長は少なかったみたいですけどね。
和田さんの表紙になって女性読者が増えた
田中 1枚描くのにかかる時間はどのくらいですか?
和田 前の日に下描きをすることもありますけど、大体、水曜日の午前中から描き始めて、夕方には渡しています。ひどいときは水曜日の朝、まだ何を描くかまったく思いついていないことも(笑)。描く速さは初期も今も変わりませんね。ただ、レコードジャケットや遠景など、細かい絵を描くときは時間がかかります。だんだん老眼が進んでしまったのでね。描き始めて「こんなに細かい絵にしなきゃよかった」と後悔することも、しょっちゅう(笑)。あと、片観音(巻き三つ折り)のときは絵のサイズが横に長くて面積は倍なので、いつもより倍かかります。
田中 和田さんの表紙になって、女性読者が増えました。僕が編集長のころの「週刊文春」は記事の内容が硬かったんです、だんだん軟らかくなってきたけれど。硬い雑誌だったから和田さんのような表紙がよかったんですね。「ニューヨーカー」の表紙を描いていたのは誰でしたっけ?
和田 いろんな人が描いています。僕は(ソール・)スタインバーグが特に目について好きだったんです。今回「週刊文春」の表紙画集を作るときに、「ニューヨーカー」やノーマン・ロックウェルの「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙画集を見ました。どちらも素晴らしいものです。
――80年代後半までの表紙には、ロゴと月号以外に記事のキャッチ・コピーが入っている号もありました。
和田 その文字の入れ方も僕にデザインさせてくださいとお願いして、リボン、タスキ、鉤型(かぎがた)など、絵の中の文字が入るスペースのデザインもしていました。そのスペースに入る文字数に合わせて、編集部がコピーを考えてくれるわけです。