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物が二重に見えることが続き…

 病弱だった子どもの頃から、どうせ死ぬんだしと思って、自分の人生を大切にしていなかった。花火のようにパッと咲いて消えるのが人生だろうと思っていたのです。その気持ちは、自分の子どもができても変わりませんでした。

 やがて私は大学病院に通うのも止めてしまいました。

 目の焦点は相変わらずで、すべてがダブって見えていました。物が二重に見えるということは、情報も2倍になるわけで、本当に疲れます。

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 特に商店街の看板は最悪でした。文字がそこら中に溢れ出しているように見えて、気が狂いそうになるのです。バスに乗るときは、足元の段差がわからないので足で探りました。

©iStock.com

 眼帯をつけると、情報量が減って少し楽になるので、左右を替えていつもつけていました。

 旦那がアメリカに行っている間中ずっと、朝は眼帯をつけた私が下の娘をバスで保育園まで連れて行き、帰りは小学生のお兄ちゃんが迎えに行ってくれました。子どもたちも大変だったと思います。

 目を休めるために、パソコンやテレビは見ません。ヒマなので時々お絵かきをしました。なんとなくできたのが童話みたいな『カニとおじさん』という作品。ボーッとしていたおじさんが無人島に流れ着いてしまい、椰子の実をカニと奪い合うというバカバカしい物語です。子どもたちから「このおじさんの絵がかわいい」とか「こっちはかわいくない」とか言われながら読み聞かせをしました。

 13日間のアメリカ出張から旦那が帰ってきた時、私はへなへなと崩れ落ちそうになりました。よほど気が張っていたのでしょう。

 子どもがいないところで旦那に眼帯を外して見せると、「あらあら、これは大変だね」と落ち着いた反応。「MRIを撮ったけど、異常はなかった」「寄り目は自然に治るみたい」と私が言ったので、シリアスには受け取らなかったみたいです。

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※最新話は発売中の「週刊文春WOMAN 2021創刊2周年記念号」にて掲載。