林は日没から明け方まで、そうして「流し」を続け、一日あたり数百キロ走ったこともあるという。ガソリン代だけで一月10万円近くかかったこともあるそうだ。まさに狂気の沙汰だ。林が言う。
「オキマルの採集はよく運だって言われるんです。点と点がぶつかるのを待つしかないわけだから。その確率を上げるには車を流すしかない。修行ですよ、あれは」
運次第──。
1999年10月22日、その説を決定づける遭遇劇が歴史の一ページに加わった。
当時、やんばるの森で環境アセスメントのバイトをしていた村松稔は、空き時間を利用し、軽い気持ちで林道を車で流していた。与那国島でマルバネクワガタを採集した経験を持つ村松は、もちろん、そこがオキナワマルバネの生息地であることくらいは知っていた。
ただし、オキナワマルバネの発生期は9月中旬から10月中旬である。10月下旬に入ったその時期、ほとんどのクワガタ屋は次の発生地である石垣島へ移動しており、まさか見つけられるとは思っていなかった。
ところが、夕暮れどき、視界の中に、道の真ん中を這うやけに大きな黒い点が飛び込んできた。採集したときの思いは語り口に表れる。村松は何事もなかったかのように振り返る。
「すぐにクワガタだとわかったので、車を降りました。遠くからでも、あまりにも大きいので、ぜんぜん違うクワガタみたいに見えましたね」
それこそが70ミリの、いわゆる「ギネス個体」だった。
村松にとっては、一頭目のオキナワマルバネだった。ビギナーズラックにもほどがある。村松がおどける。
「売ってくれという電話がいっぱい来ましたよ。三桁払うという人もいました。ビックリしましたね。なんで、こんなクワガタにって」
定木も無論、何年もオキナワマルバネ採集にトライし続けたが、他の種類と比べると、なかなか大きい個体を採集できなかったという。
村松がギネス個体を採集した翌年、2000年4月号の『月刊むし』で、村松のギネス個体発見を祝う「オキナワマルバネクワガタ座談会」が開催された。
当然のように定木も呼ばれ、その70ミリのマルバネを見るかと問われると〈正気じゃいられないかもしれない〉と固辞。そして、勢い、〈来年は山奥で72ミリを採ってくる〉と宣言するはめになる。すると、すかさず仲間に〈そのまま山の中で倒れてるんだよ。首のあたりハブに噛まれて〉とからかわれ、〈いいよ、死んでも〉と返す。定木の発言だと思うと、それらの言葉がまったく冗談に聞こえない。