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 林の回想から浮かぶ本人の姿は、まるで夢遊病者だった。1999年以降、頭の中には常に村松の70ミリがあったという。

「1990年代後半から10年くらいは、発狂しそうな状態でやってましたね。宿に何泊したかもわからなくなって。チェックアウトするとき、『37泊?』みたいな。基本、マルバネ採集のときは、行きのチケットしか取らないんです。発生した日から発生が終わるまで見てやろうという気でいますから。持っているお金を全部つぎ込んで。あんな感覚になることは今後の人生でもう二度とないでしょうね。ほんと、愚かでした。付き合ってる女の子がいたときも、『まだ帰ってこないの? こんなんだったら別れたいんだけど』って言われたら『俺の勝ちだ!』って。よしよし、これでマルバネに集中できるぞと。ひどいもんですよ」

中村計氏が見つけたマルバネクワガタ (c)光文社

 そんな狂気の日々がようやく報われたのは、2008年秋だった。ここからは『日本のマルバネクワガタ』の中に掲載されている林のレポートを引用したい。採集開始から2週間ほど経ったある日のことだった。

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〈その日も夕刻間際から流しては休憩を繰り返し、日付が変わった頃にはすっかり疲れ果て、気づくといつもの場所で車のシートを倒して眠り込んでいた。寝ぼけて朦朧とする意識の中で、採集を再開する。直後、待ち続けていた瞬間が視界に飛び込んできた。数十m手前から見ても、今までのどのパターンにも当てはまらないシルエット。(中略)震える手で、その巨大な個体をつかみあげると、改めて今までにない量感を感じた。(中略)興奮で胸が張り裂けそうになる。(中略)急いで宿に向かうも、何度も何度も車を止めては魅入ってしまう。(中略)無事に宿にもどってノギスを当てると、メモリは69㎜を指している。その日は今までに味わったことのない興奮状態に陥り、(中略)翌日、目を覚ましても、何度も何度もその巨大なオキマルを眺める。眺めてはノギスを当てる。「69㎜のオキナワマルバネ」。強烈なサイズである。今まで10年以上に渡って思い焦がれてきたサイズ。しかし贅沢ではあるが、嬉しさの中に複雑な思いもあった。(中略)ギネスまでたった1㎜。物凄い大きな壁である。1㎜足りない現実を受け入れねばならない瞬間でもあった……〉

 獲得と喪失。そのダイナミックな心の変化が見事に表現されている。ただし、その揺れの原因は「一ミリ」だ。しかも、たかがクワガタの。