昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/10/11

すべてを諦めて逃げるしかなかった

 そのとき原子炉建屋の方角から黒い煙が上がった。手にした携帯電話が鳴り、業者の番号が映し出された。音声をスピーカーにして応対しても、防毒マスク越しのため「危ない」という単語しか聞き取れない。電話を切って正門に向かった。そんなことは先刻承知だ。無理してここまで来たのである。その程度のことで引き返せない。

 正門まで100メートルほどの距離となった頃、防護服に赤いブーツを履いた4人の作業員が確認できた。気づかれないよう少しずつ距離を狭め、その度にシャッターを切った。4、5枚撮影して慎重に、ゆっくり前に進むと、作業員が一斉に動き出した。気付かれた。こうなった以上逃げるしかない。

 本来、この撮影は違法行為ではない。法律はまだ施行されていないし、放射線管理手帳が必要な敷地内には進入していないので合法だ。が、業者が特定されると圧力がかかるため、すべてを諦めて逃げるしかなかった。ただでさえ暑い上に全力で逃走したので喉が乾ききり、舌が上顎に張り付いた。

 業者とのパイプは死守する必要があった。マスコミの悪評は口コミで広がっている。ようやく取材許可をくれた5次請け業者に拒否されたら、取材の能率は著しく低下する。就職先には頼めない。なにからなにまで騙しているのだ。

1F正門の前、警備に気付かれる(著者提供)

「電力に言いたいことはたくさんある。けど(それをマスコミに話すと)仕事を切られる。だから絶対に見つからないでくれ。記事を書くときは(自分の会社が)特定されないよう気をつけてくれ」

 約束を守って車に戻った私は、車内で防護服とマスクを脱いだ。それをビニール袋に入れて巾着状態に縛り、履いていたバイク用の防水ブーツを濡れティッシュで拭った。

「防護服に付いた埃が舞うんだよ。これで被曝するんだ。ホールボディ(カウンター。原発等に設置されている内部被曝を測定する機器)やったらかなり出るな。あーあ、やんなっちゃうな」

 嫌味を言われてもどうしようもない。とにかくいまは逃げるのが先だ。車は1Fのフェンス越しに走り、北門に近づいた。正門と比べて警備が手薄で、頑丈な4WDで体当たりすれば容易に進入できるはずだ。

請戸から見える1F排気筒(著者提供)

 1Fの撮影が途中で頓挫したため業者に懇願し、双葉郡浪江町請戸(うけど)に向かった。1Fからわずか3、4キロのここは、震災後、捜索がほとんど行われていない。風邪用のマスクだけをして降車し、撮影した。出せない写真が多い。あちこちに遺体があったからだ。瓦礫と化した町のバックには、1Fの建物がはっきり写っている。

 その後は業者も観念したのか、3時間ほど近隣の撮影に付き合ってくれた。毎年、多くの花見客でごった返す富岡町夜(よ)ノ森(もり)の桜並木にはまったく人気(ひとけ)がなかった。午前中はぎりぎりで荷物を取りに戻った住民が多く、一部では渋滞になっていたと聞いた。事実、私が1Fに向かう途中、バイクを運び出している男性がいて、彼の愛車はプレミア価格で取引されるカワサキのZ2だった。