昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2020/10/11

放医研で線量を測定

 なんとか落ち着きを取り戻し、ネットで情報を漁った。ニュースを見つけ、作業員が一斉に動いたからといって、逃げる必要はなかったと理解した。私が目撃した黒煙は3号機の原子炉建屋から上がったもので、これにより東京消防庁の放水が中止されていたからだ。正門付近の消防隊員は20キロほど離れた指揮本部に退避している。慌てすぎだ。後悔しても遅い。もう作業員になるその日まで、1Fには近づけない。

 東電は3号機から黒煙が上がった理由を明確にしていない。隠蔽しているのではなく、分からないのだろう。この時、目立った放射線量の増加はないと報道されたが、近隣のモニタリングポストの数値はわずかながら増加している。放射線量は距離の2乗に反比例する。業者は「たぶん、正門付近ではマックス約200ミリシーベルトくらいでしょ」と言っていたから、この前提だと約20分間敷地内を歩き回った私は、最大で66ミリシーベルト程度の線量を食った計算になる。前述したように、持参した中国製のガイガーカウンターはエラーメッセージが出ていた。使い物にならないそれは、1F近くの店舗にあったゴミ箱に捨てた。

 週明け、最初に放医研を訪問したときは、こちらも無知だったのでビビりまくりだった。撮影に使ったカメラを4枚のビニール袋に厳重に封印して持ち込み、女性検査官に苦笑された。とはいっても、放医研の正門からすぐ右手に急設された測定場所は、すべての窓が目張りしてあり、床にはブルーシートが敷き詰められている。ビル内にいる職員のすべては、靴をビニール袋で覆い、マスクをしており、免疫のない一般人にはかなりホラーな光景だろう。

青いビニールシートが貼られた放医研(著者提供)

 階段を上がるとにこやかな表情の中年男性職員が立っており被曝状況の概要を訊かれた。東電社員や協力企業とは違い、不埒な目的で1Fに近づいたのだから𠮟責されると思ったが、「実際の現場はどうなんですか? 大丈夫なんですか?」と無関係な質問攻めに合い、正反対の意味で当惑した。

 1Fの正門まで行ったこと、その後、フルノーマルに一般マスクという服装で3キロ近辺を3時間あまり撮影したことなどを伝え、時間と防護服の種類、手袋と防護服の間をガムテープで縛ったか、シャワーや着替えはしているか、などを質問された。それら詳細を自分で汚染検査表に書き込んでいく。