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家系ラーメン“のれん分け戦争”「吉村家vs.六角家」裏切りと屈服の黒歴史〈六角家破産〉

家系ラーメン“のれん分け戦争”「吉村家vs.六角家」裏切りと屈服の黒歴史〈六角家破産〉

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 直系店舗にはいくつか特徴がある。まずは、麺は、酒井製麺所という製麺所から卸している麺でなければならない。『家系といえば酒井製麺』と言われるほどその結びつきは固く、酒井製麺の麺は中太でモチモチした独特の食感があるという。また、麺は寸胴で茹で、テボザルではなく平ザルですくい上げるのも特徴だ。

 その直系店鋪以外で、酒井製麺所の麺を使っていたのが今回倒産した「六角家」と、「本牧家」だった。

本牧家 Ⓒ文藝春秋

突然の独立。「自ら信じる味を追求したかった」

「『六角家』は、吉村氏の一番弟子である神藤隆氏が独立して横浜市神奈川区六角橋で始めた店です。一時は本家『吉村家』や吉村氏が横浜市中区に出したのれん分け1号店である『本牧家』とともに家系御三家と言われたほどの超有名店です。ただ、『六角家』は吉村氏の一番弟子が始めた店にもかかわらず、開店当初から今日まで、一度も吉村氏から吉村家の“直系店舗”として認められたことはありません。『吉村家』と『六角家』はずっとぎくしゃくした関係が続いていたのです」(食ジャーナリスト・小林孝充氏)

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 一体なぜなのか。ラーメン探究家の田中一明氏が解説する。

「吉村氏は1974年に横浜市磯子区新杉田に『吉村家』1号店を開いた後、12年間は支店をつくりませんでしたが、1986年満を持して横浜市中区本牧に2号店である『本牧家』をオープンさせました。この店を弟子の神藤隆氏に任せ、吉村氏はオーナーとして、いよいよ店舗の拡大へと乗り出したかのように見えました。ところがその2年後、店主の神藤氏が従業員を引き連れ、本牧家を出て行ってしまったのです。さらにその後、神藤氏は神奈川区六角橋に自ら『六角家』を開店しました。一方、神藤氏という主を失った『本牧家』は一時期休業を余儀なくされてしまったのです。

六角家 Ⓒ文藝春秋

 なぜ神藤氏は独立したのかについては、当時様々な憶測が飛び交いましたが、私は目指す味の方向性が違っていたことが大きな理由だと思っています。『吉村家』が醤油ダレをガツンと効かせたパンチのあるタイプであるのに対し、『六角家』は豚骨と醤油ダレをバランス良く効かせた食べ手を選ばないタイプであるのが特徴。神藤さんは自ら信じる味を追求したかったということではないでしょうか」