資本系が徐々に勢力を伸ばす一方、職人たちの技に支えられる「家系御三家」の系列のラーメン店同士でも、競争が激化していった。その最たるものは2013年に起きた「三つ巴の乱戦」(山本氏)である。
「吉村家がとうとう六角家を潰しに来た」
「『吉村家』の直系店『末廣家』と『六角家』がある県道12号沿いに、元は『吉村家』直系店だった『王道家』の系列である『とらきち家』が開店したのです。『とらきち家』と『六角家』はわずか2軒隣りの距離。ラーメン店の激戦区として知られている地域ですが、『環2ラーメン戦争』を知っている人たちからしたら、またかと思わざるを得ない出来事でした。
もう家系ファンたちは沸き上がりましてね。そもそも『末廣家』が2012年に開店したときに『吉村家がとうとう六角家を潰しに来た』と話題になったのに、その翌年には王道家の系列店がすぐそばに建ったわけです。『吉村家と王道家がタッグを組んで六角家を標的にしたのか』という憶測まで飛び交ったほどです」(同前)
しかし、この「三つ巴の乱戦」は4年後に「六角家」の店主である神藤氏が体調不良で店に出ることが困難になり、同店を閉めたことで唐突に決着がついた。
「もともと『吉村家』という元祖から派生していった『家系』には、細かな系図があります。あの店は『吉村家』の直系、こっちは『六角家』系列と、ファンは味とともに、“出自”もすごく気にしていました。お店側も、職人のプライドを持って、俺たちの『家系』を見せてやるという気概に溢れて、日々味の改良に明け暮れていた。たしかに『戦争』と呼ばれるほど、競争が激化した地域もありましたけど、それもまた味の新陳代謝を生むプラスの側面があった。あれは家系が進化するための『スパイス』になった部分があるんです」(同前)
かつては「家系」の代名詞ともなり、「吉村家」らと“頂上決戦”を行った「六角家」本店の跡地は雑草が伸び放題の空き地になっている。一方の吉村家は、現在は家系総本山だと看板に掲げており、その勢いはますます盛んだ。開店から50年近く経つ現在も長蛇の列ができる人気店である。
ラーメン職人たちの戦いと資本系の台頭。「六角家」の倒産は、家系ラーメンの一つの時代の終焉を意味しているのである。(前編「家系ラーメン・名門『六角家』はなぜ破産したか」を読む)
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