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家系ラーメン“のれん分け戦争”「吉村家vs.六角家」裏切りと屈服の黒歴史〈六角家破産〉

家系ラーメン“のれん分け戦争”「吉村家vs.六角家」裏切りと屈服の黒歴史〈六角家破産〉

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 「吉村家」と袂を分かって誕生した「六角家」は、独自路線で成長していった。「六角家」の転機になったのは1994年、新横浜駅近くに誕生した「新横浜ラーメン博物館」に横浜代表として出店したことだった。これにより、全国的な知名度を得た「六角家」は本家の「吉村家」や、吉村氏とは別の経営者を迎えた「本牧家」とともに「家系御三家」とファンの間で呼ばれるようになる。この三店は、次々弟子をとり、彼らを独立させることで、直系店を増やしていった。今でも、この時期の御三家による「争い」はファンの間で語り草となっている。

ついに勃発「環2ラーメン戦争」

 特に有名なのは、94年に起きた「環2ラーメン戦争」だろう。事の発端は94年、「本牧家」が環状2号線に面した土地に移転したことに始まる。移転から1年も経たずして、「本牧家」の店舗からわずか徒歩1分の位置に、吉村「吉村家」の直系店舗「環2家」がオープンしたのだ。

ラーメン環2家 Ⓒ文藝春秋

「ちょうどこの頃は横浜各地に吉村家の直系店舗が広がり始めた時期。環状2号線はもともとロードサイドのラーメン激戦区でしたから、偶然、出店が近くになってしまうことはありうる。しかし、『本牧家』と『環2家』はそれにしても近すぎる距離でした。家系ファンの間では『吉村家が直弟子を使って、本牧家をつぶしにきた』と囁かれることもありました」(前出・山本氏)

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 しかし、この戦争は「本牧家」と「環2家」両方が客を離さぬために、職人たちが味の改良を進めたという側面もある。「環2ラーメン戦争」の決着はいまだについておらず、今も両店は行列の絶えない人気店であり、徒歩1分の距離で互いに火花を散らしている。

 2000年代初頭になって、吉村家は「杉田家」(横浜市磯子区)、「はじめ家」(富山県魚津市)、「王道家」(千葉県柏市)、「横横家」(横浜市金沢区)などの直系店舗を次々と増やしていった。

杉田家のラーメン 田中一明氏提供

「『六角家』の多店舗展開や、『吉村家』で修業した人たちの独立開業によって、家系ラーメンの認知度は上がっていきました。1990年代に入ると、『吉村家』や『六角家』の出身者が出した店で修業し、独立開業する者が目立つようになりました。『吉村家』、『六角家』からすれば、孫、曾孫にあたる店になりますね。やがて、家系ラーメンを出す店舗は、発祥の地である横浜を飛び出し、全国各地に広がっていきました。大手飲食企業が、家系ラーメンの人気に商機を見出したのもこの頃だと思います。2010年代に入ると、いよいよ、それらの企業が業界に本格参入してきます。これらの大手飲食企業が各店舗で提供するラーメンが、いわゆる“資本系”と呼ばれるものです」(前出・田中氏)

杉田家 田中一明氏提供