『カエサル 内戦の時代を駆けぬけた政治家』(小池和子 著)岩波新書

「自伝信ずべからず 他伝信ずべからず」という。自伝には弱みを隠す虚飾が必ずあり、自らを美化しやすい。伝記には実物以上の強いイメージを強調する傾向があるという意味である。

 本書は、カエサルに対する重要な事柄を客観的に整理して述べてあり、一読すれば、「供給過剰」ともいえるカエサルの情報から、虚飾、美化、強調をはぎ取ったカエサル像をつかむことができる。

 例えば「ルビコン川を渡る」とき、伝記作家は「サイは投げられた」とカエサルがドラマチックに宣言したと描く。しかし、カエサル本人は『内乱記』ではルビコン越えも、この言葉についても何も語っていない。「ルビコンを渡る」ことは、たとえ、大義はあっても違反行為であることは変わりないので、あまり目立たせたくなかったのだろうという。

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 本書の副題に「内戦の時代を駆けぬけた政治家」とある。カエサルは紀元前100年に生まれ、前44年に暗殺される。ポンペイウスを破り、ローマで凱旋式を行うのが前45年10月。44年1月末に終身独裁官となるが、3月15日に暗殺される。56年の人生のうち55年間は権力を奪取するために戦い、奪取後は百日天下どころか50日に満たず、命を奪われる。

 著者は「執政官職をはじめとする地位は、彼がその争いを勝ち抜いて手にしたものなのである」という。戦略は細部に宿るというが、各所に具体的にカエサルがとった戦略、戦術が取り上げられ興味深い。

 元老院議員になったばかりのころ、ポンペイウスに強大な権限を与える法律に元老院すべてが反対したのにたった一人、カエサルだけが賛成する。日本でも大志ある新人議員は似たような行動をする。

 ローマで出世するには選挙で勝って重要な公職につかなければならない。大神祇官の選挙の際、相手方から出馬を取りやめるよう大金を提示された。カエサルは「より多くの金を借りてでもたたかう」と宣言、圧勝した。カエサルが借金王であることは知られているが、選挙のための借金も多かったようである。

 戦争における戦術も興味深い。ゲルマニア人との戦いの時、休戦交渉に来たゲルマニア側の指導者全員をカエサルは捕えてしまう。そのうえで、ローマ軍はゲルマニア人を攻める。指導者なきゲルマニア人は女性、子供を含め、ローマ軍の意のままに殺戮されたという。

 カエサルによると、指導者たちは「偽りの休戦」を求めてきたというが、カエサルの甘言に騙されたのだろう。

 カエサルから1500年以上も後のマキャベリは「戦闘において敵をあざむくことは非難どころか称賛されてしかるべきである」という。『君主論』の「原液」がカエサルの行動の中にあることが本書を読むとわかる。

 供給過剰、情報過多の中で、真のカエサル像を掘り出すことができる良書である。

こいけわこ/1967年生まれ。慶應義塾大学言語文化研究所教授。専攻はラテン文学。東大大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。共訳書にキケロー選集『アッティクス宛書簡集I』など。
 

しまさとし/1958年、岐阜県生まれ。元衆議院議員。元ソフトバンク社長室長。メディア等で「孫正義の参謀」と評された。