Appleの創始者を書いた、評伝『スティーブ・ジョブズ』は世界的ベストセラーとなった。その著者が次の題材に選んだのはレオナルド・ダ・ヴィンチ。なぜ、いまダ・ヴィンチなのか、そして彼はいかなる人物だったのか。この決定版『レオナルド・ダ・ヴィンチ』は遺された7200枚の全自筆ノートを基に書かれているが、実際のノートはその4倍あったとされる。恐るべき「メモ魔」だったダ・ヴィンチに迫る。※『レオナルド・ダ・ヴィンチ』上巻・5章「生涯を通じて、記録魔だった」より転載
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アイデア、スケッチ、リスト、なんでも記録
何世代も続く公証人の家系に生まれたためか、レオナルドには事細かに記録を残そうとする習性があった。観察したもの、さまざまなリスト、アイデア、スケッチを日常的にノートに書き込む習慣は、ミラノに到着してまもなく1480年代初頭に始まり、生涯にわたって続いた。タブロイド紙ほどの大きさの紙に書いたものもあれば、ペーパーバック本ほどの大きさの革表紙のついたノートを使うこともあった。後者は常に持ち歩き、見聞きしたことを書き留めた。
「よく観察し、記録し、吟味する」
ノートを持ち歩く目的の一つは、興味を引いた光景を記録するためだ。特に注目したのは人間とその感情である。「町を歩くときには人々の会話、口論、笑い、殴り合いといった場面や行動をよく観察し、記録し、吟味すること」という記述がある。レオナルドの腰のベルトには、いつも小さなノートがぶらさがっていた。父親がレオナルドと知り合いだった詩人のジョヴァンニ・バッティスタ・ギラルディは、こう書いている。
《レオナルドは人物を描こうとするとき、まずどのような社会的立場や感情を表現するかを考えた。高貴な人か平民か、陽気なのかまじめなのか、動揺しているのか落ち着いているのか、老いているのか若いのか、怒っているのか冷静なのか、善良なのか邪悪なのか。それが決まると、そういう人間が集まる場所に出かけていき、表情、立ち居振る舞い、身なり、しぐさを観察した。目当てのものが見つかると、いつもベルトに付けていたノートを取り出して記録した。》