ノートは多種多様な興味やこだわりを映す鏡
ベルトに付けた小さなノートと、工房で使った大判の紙は、多種多様な興味やこだわりを映す鏡である。1枚の紙に雑多なアイデアが無秩序に詰め込まれている。技術者として知識を磨くため、偶然見かけた、あるいは頭に浮かんだ装置を描く。芸術家として、アイデアをスケッチしたり下絵を描いたりする。宮廷の余興の演出家として、衣装、舞台装置、上演する物語、気の利いたセリフなどを書き留める。余白にはやることリスト、出費の記録、興味を引かれた人々のスケッチなどの走り書きがある。科学の研究に熱が入るにつれて、飛行、水、解剖、芸術、馬、機械、地質といったテーマに関する論文の構想や文案も増えていく。
ただ一つ抜け落ちているのは、個人的な心情や色恋にかかわる記述である。つまり、レオナルドのノートはアウグスティヌスの『告白』とは違う。おそろしく好奇心旺盛な探求者が、自らをとりまく世界の魅力を書き綴った記録である。
500年前のノートが7200ページも残っていた
ルネサンス期のイタリアでは「ジバルドーネ」と呼ばれる雑記帳を持ち歩くのが流行していた。レオナルドもそれに倣ったわけだが、その内容は類例のないものだった。「人間の観察力と想像力のすさまじさを見せつける比類なき記録」という評価にふさわしい。
現存する7200ページ以上のノートは、おそらくレオナルドが実際に書いたものの4分の1程度だろう。それでも作成されて500年も経っていることを思えば、良く残っているほうだ。私がスティーブ・ジョブズの評伝を書いたとき、ジョブズと2人でかき集めることのできた1990年代のメールやデジタル文書の割合より高い。レオナルドのクリエイティビティの生きた記録がこれほど残っているのは、まさに僥倖と言える。
死後、バラバラにされたノート
ただいかにもレオナルドらしく、ノートは謎に満ちている。レオナルド自身が日付を書き込むことはめったになく、しかも順序はわからなくなってしまった。レオナルドの死後、ノートの多くはバラバラにされ、興味深いページだけ売られたり、さまざまな収集家がとりまとめたりした。収集家として最も有名なのが、1533年に生まれた彫刻家ポンペオ・レオーニである。