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ノートの持ち主にはビル・ゲイツも

 ノートのコレクションの一つが、現在ミラノのアンブロジアーナ図書館が所蔵している「アトランティコ手稿」である。これはレオナルドが1480年代から1518年にかけて執筆したさまざまなノートから、レオーニが集めた2238ページから成る。大英図書館が所蔵する「アランデル手稿」には、17世紀の収集家が集めたとされる同じ時期のノートが570ページ含まれている。一方「レスター手稿」は、主に地質学と水に関する研究をまとめた72ページの文書で、これは1508年から10年にかけてレオナルドが書いたときのままのかたちで残っている。現在はビル・ゲイツが所有している。このように今わかっているものとして、イタリア、フランス、イギリス、スペイン、アメリカにレオナルドのノートを集めたコレクションは25ある。カルロ・ペドレッティをはじめ多くの研究者が、各ページの書かれた順序や日付を解明しようとしているが、レオナルドは昔書いたページの余白に後から書き込みをしたり、しまっておいたノートを引っ張り出してメモを追加したりしているので、なかなか難しい。

1487年頃の「パリ手稿B」には潜水艦らしきものも

 習慣的にノートを書きはじめた頃、レオナルドは芸術や技術の探究に役立つと思ったアイデアだけを記録していた。たとえば1487年頃に使いはじめた「パリ手稿B」と呼ばれるノートには、潜水艦らしきもの、黒い帆を張ったステルス艦、蒸気砲、さらに教会や理想都市の設計図などが含まれている。一方、後年のノートは好奇心の赴くままに書かれており、そこからは科学的探究心の深さがうかがえる。物事が「どのように」動いているかだけでなく、「なぜそうなのか」を突き止めようとしているのだ。

「荒野の聖ヒエロニムス」の変遷

「荒野の聖ヒエロニムス」

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 質の良い紙は高価だったため、レオナルドは1枚1枚をめいっぱい使った。1枚の紙にできるだけ多く、さまざまな分野の情報をでたらめに詰め込んでいるように見える。最初に書いてから何カ月、ときには何年も経ってから特定のページに戻ることも珍しくなかった。『荒野の聖ヒエロニムス』をはじめ多くの絵画でそうしたように、自らが成熟して知識が深まると、昔のノートに戻ってその内容を洗練させていった。

1495年頃のデッサン。首の筋肉の描写が誤っている
1510年頃の解剖のデッサン。首の筋肉が正しく描かれている