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正確な線量なんて分からない

「食事はクラッカー2袋にサンマの缶詰1個、あとは水のペットボトルが1本でました。荷物はバスの中に置いて来ちゃったし、前の日ほとんど睡眠とってないんで、グレーのマットが敷かれた広い会議室で寝てましたよ。ほとんど情報はなかったです。細かいこと知ったって関係ないですから。自衛隊のヘリコプターが空から放水したのは知ってました。『ありがたいけど、あれじゃあ無理だったよな』って、みんなが話してたのが聞こえたんで」

 現場作業は午後1時から開始された。飲まず食わず、合計8時間あまりの連続作業で休憩時間もない。誰一人として話をする者はいなかった。30代、40代、中には50代の作業員もいたが、全員が黙々と作業を続けた。

「放管はいましたけど、装備の話しかしてなかった。言われたのは『ちゃんとマスクをしろ』くらいです。事前にさっと(放射線量を)測りに行ってるだろうけど、正確な線量なんて分かんなかったと思います。自分たち、代表で2、3人だけ個人線量計持ったんですけど、それぞればらばらに仕事しているから、どこが線量高いのかなんて分からないじゃないですか。

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※写真はイメージ ©️iStock.com

 全面(マスク)は今まで何回か付けたことありますけど、その装備で長時間の作業をするのはみんな初めてでした。倒れた人はいなかったです。脳内にアドレナリンとか、そんな物質が出てたかもしれないです。夜の8時くらいまでぶっ続けで、水もトイレもなかった。トイレとかは我慢できなかったら免震棟に戻って、って感じだったですけど……。そうだ、俺、うちの班で最初にトイレ行ったんです。ウンコ我慢できなくて。

 免震棟に戻ったら……トイレはひどかったですね。出入り口の近くにあって、カーテンで仕切られ、下にタンクがある。近づくとカーテン開ける前から、ウッて吐きそうになった。座ろうと思ったら便器から5センチもないところに、みんなのウンコがもりもり溜まってました」

 近くの旅館に戻ったときは、誰もが心底疲れ切っていたという。食事をとり、風呂に浸かり、そのまま布団に倒れ込んだ。この一日で、佐藤の班は作業のすべてを終了した。それぞれどれだけの放射線を浴びたのかはっきりしない。想像以上の高線量を浴びた可能性があった。佐藤はいったん1Fを離れた。

 屈託のない笑顔で当時の様子を話す佐藤に、精子の検査と造血幹細胞の採取をすすめた。いまだ彼は病院に行こうとしない。