大晦日の1日前、インフルエンザになってしまった。担当編集者からは、「原稿、5日までにあげてくれたら大丈夫です」というメールが届く。4つん這いで原稿を書き上げ、ひと眠りすると年が明けていた。フェイスブックを開くと、担当編集者は六本木からハワイに移動していた。自分は2センチくらいしか動いていない。送信した原稿への返信は、まだない――。
作家でコラムニストの燃え殻さんの2020年は、このようにして始まった。誰かと会い/会わず、仕事をし、何かを食べ、飲み、眠り、暮らす。燃え殻さんが今年上梓したエッセイ『すべて忘れてしまうから』で描き出す日常は、瞬間に溢れている。ふとした日々の出来事が、過去の記憶を蘇らせる。もしかしたら、未来の記憶をも。断章形式で綴られるエッセイが、こんなにも胸を突くのはなぜだろうか。
「当たり前ですけど、常に過去の思い出を覚えているわけではないんです。毎日の中で起きる出来事がきっかけになって、いつか知り合った人や、その人と交わした会話、その時の場所などを思い出す、ということが多いですね。たとえば、昔、アニメ映画『ムーラン』を一緒に観に行った女の子がいて。このあいだ『ムーラン』実写化のニュースが出た時に、そのことを思い出して、あの時、映画に対する感想が思いっきり分かれた女の子がいたよな、でも彼女は全然覚えていなさそうだな、と考えたり。だからどうだ、ということではなくて、昔の出来事が、今起きている出来事に、ちょっと関係している、みたいなことって、よくあると思うんです。そういう記憶を積み重ねた文章です」
雑誌『SPA!』でのエッセイ連載中に、世界はコロナ禍に襲われた。本書ではその影響も綴られている。
「20年来テレビ美術制作会社に勤めているのですが、やっぱり仕事が減ってしまって、部下に休職を伝えなければいけない立場になってしまいました。だから僕自身も休職することにしたんです。ずっと働き詰めだったから、どうなるかと思ったけれど、案外何も変わらなくて。漠然と不安を抱えて生きてきたけど、会社に行かなくてもいつも通り不安だなあと。妙な気づきですが(笑)」
時々泊まるビジネスホテルの清掃員、焙じ茶を買いに行くいつものコンビニの店員、バーでトイレに行ったまま帰ってこなかった彼女……。関わり方の深さは違えども、人生のどこかで、現れたり、消えたりしていく人たちがいる。燃え殻さんは、そんな1人ひとりの輪郭を描き出す。変わらないように見える日常も、やはり変わっていく。
「人が亡くなりましたね。40歳を過ぎると、そういうことも増えてくる。いつのまにか、人との別れが来る。その時に悲しいな、と思っても、日常は続き、悲しみは流れていってしまう。でも、文章にして書くことで、あとから悲しみを実感できる、ということが、僕にはよくあります。悲しみだけでなく、痛みや怒りも、すごく時間が経ってから、あの時自分は怒っていたし、今でも怒っているとやっとわかる、ということもあるんじゃないでしょうか」
期せずして書き手となった燃え殻さんだが、元々は本を読む方ではなかったという。しかし、高校時代から、中島らもや大槻ケンヂを愛読していた。
「僕の中で物書く人というのは、小説もエッセイも書く人、というイメージ。ちょこちょこ書くのがいい。酒のつまみになるようなものをずっと書いていきたいと思っています」
もえがら/1973年生まれ。テレビ美術制作会社勤務。作家、コラムニストとして活躍。2017年、初の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』がベストセラーに。『yom yom』で「これはただの夏」を連載中。