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広告がなくなっても社会は困らない。オリンピックも同じ

斎藤 無論、超富裕層のみならず最終的には私たちの生活ももっと変える必要があるでしょう。店が年中無休24時間開いていて、大量消費・短期消費が当たり前というライフスタイルをやめて、社会全体で一度スローダウンする必要がある。

 資本主義システムの本質は際限のない膨張です。常に投資して、常にマーケットを切り開いて、常により多くの商品を売りさばいて価値を増やしていく。これを続ける限り、いくら小手先で自然エネルギーを増やそうが電気自動車に変えようが、環境問題を抜本的に解決することはできません。

 たとえば電気自動車は2040年までに2億8000万台まで普及することが予測されていますが、ガソリン車も増え続けるので、削減されるCO2はわずか1%に過ぎません。こうしたエコ政策への取り組みはいわば先進諸国の免罪符となるだけで、実質的にほとんど環境危機への有効な対策とはなっていないのです。

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 図らずもコロナ禍で露呈したのは、医療・福祉をはじめとするエッセンシャル・ワーカーの重要性と、私たちの社会はあまりにも「いらない労働」が溢れていたという事実です。コストカットを極限まで進めてきた結果、マスクのような生活必需品は自国でつくる余裕がない一方で、いらないものばかりつくって広告で消費を煽ってきたことが明らかになった。

 たとえば人通りが少なくなって渋谷ハチ公口のスクランブル交差点の広告がなくなっても、コロナ禍において誰も困らなかった。一等地のエキシビションに広告を掲出するとなれば多額のお金がかかって、モデルの出演交渉から映像制作まで多大の労力やエネルギーを要するでしょうが、広告がなくなっても社会はまったく困らない。オリンピックも同じです。でも、もしゴミ収集の人がいなかったら非常に困るし、医療従事者や介護・福祉に携わる人が手を止めてしまったら、社会は破綻します。

 そういう仕事は得てして低賃金の労働ですが、私たちが都合のいいときだけ「彼女たち大事だよ!」と言うのではなく、積極的に支援し、社会全体で人間にとって本質的に必要不可欠なものを中心的につくる経済に移行する必要がある。いま、本当の意味での効率化やイノベーションを進めるべき時が来ていると思います。

――社会モデルの大転換が必要ということでしょうか。