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 ダービーが終ると、大久保さんは手術をしたが、そのときは腹膜が破裂していて、医師からは「一歩間違えば大変なことになっていた」と言われたという。

 秋になっても大久保さんの体調はよくならなかった。ナリタブライアンは夏負けが尾をひいてトライアルの京都新聞杯ではスターマンの2着に負けてしまったが、一度使われたことで調子をあげ、菊花賞の前には、村田さんが「負ける気がしなかった」と言うぐらい、いい状態に仕上がっていた。それに合わせて周囲のボルテージもあがっていった。

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菊花賞で見せたナリタブライアン“7馬身差の衝撃”

 シンボリルドルフ以来の三冠馬が誕生するか――。

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 競馬界は盛りあがり、栗東トレーニングセンターにはナリタブライアンを取材する人が殺到する。その数は春の比でない。そしてとうとう、

〈厩舎及び厩舎周辺におけるナリタブライアンの取材・撮影は遠慮していただきたい。〉

 という通達がJRAから報道関係者にだされるのである。春の騒動もあり、この通達はマスコミ側には「取材拒否」と映った。現場の記者やカメラマンのなかにはストレートに怒りを口にする人もいた。

 こうした状況で迎えた菊花賞。

 外野の騒動など関係ないとばかりに、ナリタブライアンは独走した。

 スティールキャストが敢行した大逃げなど意に介さず、4コーナーで射程にいれ、直線に向いたところで先頭に立つと、そのまま差を広げていく。3馬身、4馬身、5馬身……。ゴールしたときには2着のヤシマソブリンとは7馬身の差がついていた。43年クリフジ(大差)、55年メイヂヒカリ(10馬身)に次ぐ菊花賞史上3番めの大きな差である。

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 小雨、稍重のコンディションで優勝タイムの3分4秒6は菊花賞レコードだった。これは、良馬場で走ったディープインパクトの優勝タイムとおなじである。

 それまで、史上最強馬といえばシンボリルドルフだった。

 だが、ゴールしたとき、わたしはルドルフを超えたと思った。4歳になって股関節を痛め、それからは満足のいく走りができなかったナリタブライアンは史上最強馬と呼ばれることはないけれど、三冠レースに限って言えば、ナリタブライアンと比較できる馬はディープインパクトしかいないと思っている。

 アンチだったからこそ、その強さが痛いほど染みている。

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