進む「子育て支援策」の縮小
ここ数年、若い世代へのアピールとして子育て支援策の導入や拡充がされているが、そのコストは多くの自治体にとって頭痛の種である。実際に、自治体間の競争についていくことをやめ、子育て支援策に所得制限を新たに設けるなど、対象世帯を縮小する自治体も出ている。
私の働いていた役所でも、子どもの医療費助成の対象年齢を拡大する度に市費負担は億単位で増大し「もう財政的に限界だ」「ここまでしなければいけないのだろうか」と漏らす幹部もいた。
このように、拡充傾向にある政策分野であってもその土台は非常に危うく、いつ流れが反転してもおかしくないのだ。
競争に相応しい分野とそうでない分野がある
近年「住民に近い地方自治体こそが、そのニーズを的確に反映したサービスを行える」という考え方が台頭し、地方分権の流れを加速させてきた。ふるさと納税や観光振興に代表されるように、自治体間競争も今後一層激化していくだろう。
しかし、競争に相応しい政策分野とそうでない分野は慎重に見極めねばならない。
確かに地域ならではの魅力を創出するようなプラスアルファの事業については、国があれこれ口を出すというよりは、自治体が自らの財布から自由にお金を使い、その責任を負うべきだろう。
問題は、生活の基盤を保障する福祉などだ。これは自治体間競争に最も馴染まない分野であり、所得の再分配機能の中心を担う国こそが一律に責任を持って地域間格差を抑えていかねばならない。そうした事業では、国の費用負担の割合を高めるなど、自治体に過度な財政負担を掛けない制度設計が求められる。幼児教育の無償化や児童相談所の設置等で、国と地方がその財政負担を巡って激しく対立したことは記憶に新しい。
基礎的な福祉がしっかり担保されない中で現状変更を議論すれば、生活が脅かされる不安が生まれ、自治体と住民の間の信頼に基づく協働が難しくなる。結果として、まちおこしやブランディングの推進にも悪影響が出るだろう。
「私共は地域で当たり前に暮らしたいだけなんです」
都構想によって、魅力と個性に溢れた世界に冠たる大都市を作り上げ、ひいては副首都として日本の一翼を担う。とても前向きで楽しげで、ワクワクするような夢のある話に思える。しかし多くの障害者にとっては現実的な生活不安の方が大きく、そういった夢のある話に思いを巡らすどころではないのが実情だ。切実な思いをこう表現する。
障大連「私共は何も特別な事や特別扱いをしてもらいたい訳ではないんです。地域で当たり前に暮らしたいだけなんです。
歳を重ねる中で障害を負う可能性は誰にでもあります。これをきっかけに、困った時に互いに支え合える社会を皆で考えて貰えればと思います」