30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1Fに勤務を始めた様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部転載する。(全2回の1回目/後編に続く)
「人の倍動く」戦略で突然息苦しくなって
「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」
尿意はさておき、スキルのなさをやる気と元気でカバーする。具体的には人の倍動く。それが原発作業における私の基本戦略だった。ゆっくり歩く場面を走り、走る場面はダッシュする。初日は失敗したが、他人よりたくさん汗をかけば、尿意のコントロールも容易だろう。
翌日も走った。最初はよかった。突然息苦しくなったのは、1時間ほど経った頃だったろうか。
「これ片づけておけ!」
「はぃ!」
この日の仕事もプロセス主建屋の掃除・片づけだった。来るべきサリーのメイン装置が運ばれる日に備え、散乱したゴミや工具を整理し、奥の搬入口にまとめるのだ。サリーの配管裏にあった配管切断に使うバンドソーは、ものによっては100キロ近い重量がある。体感的に40~50キロの電動工具を抱え上げ、表を走っている最中、顔面すべての肌が発火した。
〈やばい。倒れる〉
4号機の真横でバンドソーを置き、砂利道に手と膝をついて深呼吸するが、チャコールフィルターを通して吸い込まれる空気は熱く、薄く、いっこうに楽にならない。倒れ込むとバンドソーに貼られたガムテープに黒マジックで『不二代建設』と書いてあるのが見えた。そういえば不二代建設の現場監督が死亡したのも、プロセス主建屋で電動工具を運搬している時だった。
「おい、鈴木さん、大丈夫かよ?」
「これ呪いのバンドソーっすね。不二代って書いてありますもん。たぶん大丈夫……っす。まだいけます」
強がっても体を動かすことができない。その時のICレコーダーを聞き直すと、「死ぬ。死ぬ。マジで死ぬ」と呪文のように繰り返しており、心底、苦しかった記憶が蘇る。体中が火照(ほて)りという言葉を遥かに超えた熱を持ち、未経験でもこれが熱中症の第一症状だろうと分かった。
全面マスクを外そうと思ったが、表には東芝の放管がいた。放管とは放射線管理員の略で、作業員が被曝しないよう現場にへばりつき、作業内容を監督する監視員だ。もしマスクを外せば、会社の責任者が𠮟られる。どんな場合であれ、マスクを外すのは法令違反、違法行為だ。