憤慨した裁判長
「ここにいる井上嘉浩証人は、ダルマカーヤを得た魂の持ち主です。私が確認しております。ダルマカーヤを得た魂は、チベットやインドでも類い稀なる成就者とされています。
この成就者に対して非礼な態度だけでなく、本質的に彼の精神に悪い影響を与えることは一切避けていただきたい。確実に得たカルマなのです。アベフミオ裁判長の……」
ここで憤慨した裁判長が割って入った。
「アベフミヒロです!」
相手の機嫌をとって下手に出ようとしたところを失敗してしまった。慣れないことはするものではなかった。
「……あ、阿部文洋裁判長の日頃の寛大な慈悲ある言葉を知り、暖かい心のバイブレーションを感じています。従って、慈悲ある態度をお願いします」
一通りの話を聞いて、裁判長が尋ねる。
「それは一切の反対尋問をしなくていいということですか」
被告人が答える。
「これ以上は主宰神であるウマーパールバディー女神の啓示がありました。主任弁護人をはじめ、4人の弁護士を信じていますので、あとは一任したいと思います」
急に話を振られた主任弁護人が立ち上がって、被告人にいくつか尋ねる。
収拾がつかなくなったところで、法廷は暫時休廷に入る。
それからおよそ30分後。再び法廷に登場した教祖は、もう一度だけ証言台の前に立ちはだかった。あらかじめ「もう一言、述べたいそうです」と、弁護人が裁判長へ発言の許可を求めていた。そして言う。
「私は全面無実です。しかし、全ての魂、全国民に愛と哀れみを発します! 裁判官、弁護人、傍聴人、全国民が井上さんのような偉大なダルマカーヤの魂を形だけ苦しめるだけでなく、皆さんがどれほどの不幸に曝されるのか、どれだけ多くの嘲笑に曝されるのかを考えると、胸が詰まる思いです。裁判の進行は弁護士さんにお任せすると申しましたが、私の真意としましては、反対尋問を中止していただきたい。ただ、もともと弁護人の権利と被告人の権利は一緒です」
一瞬の静寂。
「他に、何か?」
裁判長は弁護人に問いただしたようだった。受けた主任弁護人は「いえ」とだけ答えた。
それから、発言の主旨を確認しようとする裁判長に不快感と敵意を露にした被告人に対して、弁護人が尋問を交わす。教祖は、このまま証人尋問をはじめれば、日本中が地獄に落ちる、とまで言うのだった。
しかし、そんなことを裁判所が真に受けるはずもなかった。
弁護人のほうでも、そんな被告人の意思を徹底して尊重しようなどという構えはなかった。この日のための準備を無駄にはしたくなかったのだろう。裁判所が反対尋問をやれと言えばやる、と曖昧な返事をしてしまった。
そう言われれば、裁判所は、やれ、と言うに決まっている。
結局、被告人の意思を無視して、反対尋問をはじめてしまったのだった。