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弁護側の徹底抗戦

「それでは開廷します」

 そう告げる裁判長の顔も、初公判の時と変わっていた。

 あの時は、阿部文洋という裁判長だった。

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 いまは、小川正持という裁判長が指揮をとっている。

©iStock.com

 そもそも、この裁判は長期化が予測されていた。それももっともな話で、麻原彰晃というたったひとりの被告人が、17の事件で起訴されたのだ。そのうち殺人は7件。その他にも、逮捕監禁致死や殺人未遂という人の生命にかかわるものが4件ある。審理に時間がかかるのは、無理もないところだった。

 そのため裁判所では、補充裁判官を置いていた。普通の裁判なら、裁判長と左右の陪席の3人で合議体となるのだが、裁判官の転出の時にも引き続き審理が迅速に進み、すぐに合議体に加わることができるように、もうひとりサポート役の裁判官をおいたのだ。だから、この裁判の場合は、いつも法壇の上に4人の裁判官が並んでいた。それが、初公判を仕切った阿部さんが異動でいなくなると、初公判で補充裁判官として一番はしっこに座っていた小川さんが裁判長に横滑り、この日の判決を言い渡すことになった。

 もっとも、小川さんが補充裁判官でいた時から、この人が判決を言い渡すことになることは、予想ができた。暗黙の了解だったとも、組織的に仕組まれていたとも言えた。

 ただ、予想外だったのは、弁護側の徹底抗戦だった。時間稼ぎというほどに、検察側の用意した証人に、執拗な反対尋問を浴びせかける。証人の生い立ちからはじまって、教団への入信動機や、教祖との関係や感情。ようやく肝心の事件にたどり着いたかと思えば、細かいことを根掘り葉掘り問い質す。それも信用性の確認だと称しては、繰り返し尋ねる。どこに質問の目的があるのか、要点の見えない証人尋問が延々と続く。怠惰な時間だけが法廷で費やされていく。さすがに、検察側も時間の浪費に堪り兼ねて、起訴していた17事件のうちの4件を取り下げ、13事件に絞り込んでいる。それでも、7年以上の時間がかかったのだった。