警察庁の発表によると2019年の全国の山岳遭難者は2937人。山登りに慣れている人ですら「遭難」とは無縁とは言い難い。的確な登山計画を持っていない者であれば、その危険性が高まることは自明といえるだろう。
ここでは、警視庁青梅警察署の山岳救助隊で長年活躍されてきた金邦夫氏が、山で遭遇したさまざまな事故を振り返った書籍『すぐそこにある遭難事故 奥多摩山岳救助隊員からの警鐘』より、あろうことか山中で行われたドラッグパーティーが招いた惨事について紹介する。
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奇妙な救助依頼
2010年10月13日午前10時ころ、山岳救助隊員でもある日原駐在所の前田小隊長から奥多摩交番の山岳救助隊本部に連絡が入った。「いま若い男性が駐在所に来て、山の中で仲間4人がいなくなったと救助を求めている」という。私はちょうど在所していたし、高田副隊長、橋本小隊長も交番にいた。近くの隊員に招集をかけ、山岳救助車で日原駐在所に急行した。
駐在所内で前田小隊長が男性から詳しい事情を聴取していた。男性はY君(20歳)で、10月12日真夜中の午前0時過ぎに都内のバンド仲間の男性5人で車1台に乗車し、日原の小川谷林道終点まで入った。車からキャンプ用具を降ろして焚き火をし、全員ビールで乾杯をした。その際、植物の実をすり鉢ですり潰し、酒に入れて飲んだ。Y君はそれからの記憶がまったくなく、目を覚ましたら沢のそばに1人で上半身裸、トランクス姿で寝ており、近くにはだれもいなかったという。きょうは13日だから30時間以上も寝ていたことになる。
Y君は藪の中を林道まで上がって車に戻ったが、そこには自分たちが食い散らかした跡があるだけで、だれもいなかった。大声で仲間を呼んでみたが何の応答もなく、Y君は徒歩で日原まで下りてきて集落の民家で衣服をもらい、駐在所に救助要請に来たのだという。
意識がなくなってから丸1日半経つのに、まだY君の言動がおかしい。「何か薬でもやっているんじゃないか」と言うと「何を疑っているんですか」と突っかかってくる。「4人もいなくなってるんだろ、本当のこと言わなきゃわからないだろう」と一喝し、とにかくY君を同道して現場に行くことにした。
そこには酒と植物の実が散乱していた
集まった救助隊員9人とY君は、山岳救助車とパトカーに分乗して小川谷林道を登っていった。突然Y君が「車を停めてください。川の中にノアが沈んでいます」という。車を停めてみんなで外に出る。「ほら、あそこにトヨタのノアが見えるじゃないですか」。みんなで小川谷をのぞき込んだが車などない。「まだ幻覚を見ているのか。しっかりしろ」とまた一喝。
砂利道の林道を約8km、カーブを曲がったところに黒いトヨタ・ノアがドアを開けたまま停まっていた。その少し先、林道終点の手前に焚き火の跡があり、飲みかけのコップや酒などが散乱していたが、だれも見当たらない。林道の下は草木の生い茂った崖になっており、みんなで手分けして大声を出しながら付近を捜し回ったが、なんら応答はなかった。