D:はい。なのに、学校とは逆に家で中国語を喋ると、父から「自分がブヌン族であることを忘れてはならん」「ブヌン語を喋れ」と叱られるわけです(笑)。もっとも、うちはセデック族やタイヤル族など他の原住民の親戚もいるので、親戚が集まるときは、共通語として中国語を使うときもあるのですけれど。
なぜブヌン語は生き残ったのか?
──現在、アイヌ語の母語話者はほとんどいなくなっており、言語回復の試みが続いています。いっぽう、台湾でも少なからず原住民諸語が滅んでいますが、ブヌン語のほかいくつかの言語は、まだ日常的に使われているものもありますよね。山地や離島に住む原住民ほど同化政策に限界があったということでしょうか。
D:それもあるでしょうが、ブヌン語での説教がおこなわれてきた教会の影響も大きい。これは私が牧師だから言うのではなく、客観的に言ってそうだと思います。国民党がどんな言語政策をおこなったとしても、教会は聖域だった。学校では使えない言語を、教会ではみんなが使えた。なので言葉が残ったんです。
ほかに、過去に教会が原住民の青年を密かにかくまって彼らの言語で聖書の翻訳をおこなってもらったことで、失われつつあった言語が書き言葉として残ったということもあります。台湾の原住民も、自分たちの言語を残す努力は並大抵ではなかったのですよ。
──ただ、いっぽうでキリスト教が広がることで、原住民の宗教信仰や伝統が変質した面もあるのではないですか。
D:もちろん、キリスト教が広がったことで台湾原住民に固有の伝統が奪われた……、という批判もあります。そのことは否定しないのですが、母語で説教がおこなわれたことで話し言葉が残り、書き言葉が残ったことの意義が大きいのも確かだと考えます。
原住民とキリスト教
──確かに、北海道のアイヌの言葉と比べて、台湾のブヌン語がより生き残っているのは厳然たる事実ですしね。ちなみに、ブヌン族を含めた台湾原住民の人口は60万人弱で、75%がキリスト教徒です。一般的な日本人のイメージでは、台湾の原住民とキリスト教は結びつきにくい部分もありそうですが。
D:戦前から布教はおこなわれていますね。日本統治時代に一定の圧迫を受けたようですが、信仰が続きました。台湾の原住民の村には、作られてから70~80年ほどの古い教会もけっこうあるんです。
──原住民への布教に熱心だった長老教会は、実は国民党独裁時代から台湾の民主化運動に強くコミットしていて、民進党との関係が良好です。同じく国民党政権への異議申し立てだった、原住民の権利回復運動への影響も大きかったみたいですね。
D:そうです。原住民の権利回復運動は国民党時代の1980年代前半から始まりました。過去に政府当局(=日本の台湾総督府や国民党政府)から「不当に」奪われた原住民の土地の返還や補償の要求ですとか、公共の場でも自分の民族名を名乗る要求ですとか。原住民が教会を通じて権利を主張して、民進党と協力して国民党政府と戦った歴史があるわけなんです。