ウポポイとアイヌ新法をどう見る?
──そうした事例がどこまで一般化できるかは難しいところですが、現在でもあるわけですね。聞いた話だと、白老や静内・帯広・阿寒・釧路といった比較的アイヌ系の住民の存在感がある地域以外は、北海道の人でもアイヌについて身近な感覚は薄いともいいますが。
D:私の聞いた範囲だと、少なからずあります。 現在、日本ではアイヌであることを打ち明けることは差別を受けるというデメリットしかないですから、多くの人は喋らない。誇りを持っていいんだという社会にならない限り、この手の差別の実態はなかなか聞けないでしょう。
──手厳しいですね。ところで先日、私はウポポイ施設内の博物館の展示を見たときにモヤモヤした感じがあったのですが、台湾原住民としては、ウポポイやアイヌ新法についてどう感じますか?
D:まず、アイヌ民族情報センターを通じて接したアイヌの人たちの話をするなら、全体としてはウポポイに否定的な感想を持つ人のほうが多いみたいです。国がアイヌを先住民族として認めて博物館を建ててくれたのは評価するけれど、箱モノだけを作って、(台湾を含めて)国際的に認められている先住権がないがしろにしているのは問題だと。あと、ウポポイだけを見てアイヌのことを知ったつもりにはならないでね、という。
最後に私自身の意見を言えば、日本政府はアイヌを現在も生きている「人間」としてではなくて、すでに死んだ「文化」として扱っている印象があります。モノとしては大事にしているのかもしれませんが、人間としては大事にしていない。だって、もし人間として扱っているなら、台湾みたいにアイヌ新法で先住民族としての権利まで認めているはずでしょう?
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<ブヌン族>
中華民国原住民族委員会ホームページの説明によれば、2020年9月現在、ブヌン族の人口はおよそ5万9925人とされる。主な居住地域はディヴァン牧師の故郷である南投県の仁愛郷・信義鄉のほか、花蓮県卓溪鄉・万栄鄉、台東県延平鄉・海端鄉、高雄市桃源区・那瑪夏区など。伝統的な集落は海抜500~1500メートルの高地に多く分布し、他の原住民と比べても高地に居住する。
ブヌン族は父系の大家族を形成し、伝統的な家庭の場合は家族の人数が30~40人に及ぶことも珍しくない(ディヴァン牧師の実家も、最大時は家族が20人くらいいたようだ)。他には農業祭祀のなかで歌われる「アワの豊作を祈る歌」(pasibutbut)が、八部和音唱法を使った特殊な歌唱方法で知られており、民族音楽研究者の間で注目されている。
歴史的には日本植民地時代の1915年(大正4年)、原住民政策に不満を持った花蓮港庁玉里郡(現在の花蓮県卓溪鄉)のブヌン族が蜂起して日本人警官を殺害。その後18年間にわたって抵抗した抗日蜂起「大分事件」を起こした。