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“お尻に力を入れ、身体をくの字にして椅子にしがみつき…” オウム・麻原彰晃が見せた“悪あがき”

『私が見た21の死刑判決』より#5

2020/11/14

source : 文春新書

genre : 社会, 読書

 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。この事件の2日後には、同年2月に目黒公証役場の事務長を拉致した疑いで、オウム真理教の教団施設への一斉家宅捜索が行われ、教団の実態が明らかになる。教団の犯した17にも及ぶ事件で起訴された教祖の麻原彰晃だったが、裁判の長期化を理由に検察が4事件の控訴を取り下げ、13事件についてようやく死刑判決が下されるまでには、それでも約8年の歳月を要した。

 その判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

◆◆◆

死刑を恐がる本性

 そこまで被告人を評価し、言及したあとだった。

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 小川裁判長は机上の判決文から目を上げ、被告人と、彼をサポートする刑務官に向かって言った。

「それでは、主文を言い渡しますから、被告人を正面に立たせてください」

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 もはや主文の中味は誰もが知るところだった。

 ところが被告人は、立ち上がる素振りさえみせない。

「被告人は、そこに立ちなさい」

 小川裁判長が言った。

 しかし、被告人は椅子の上にじっと固まったまま、無視している。

 全身の緊張の具合から、それが彼の意思表示なのだと察した刑務官が、直ぐさま彼の腕に手をやった。これを振り払うようにした被告人に、今度は両脇から腕を掴み、立たせようとする刑務官。ところが、教祖はこれにあくまで抵抗する。お尻に力を入れ、身体をくの字にしてまで椅子にしがみついていようとする。いやだ!   主文なんて聞きたくない!   現実なんて受け入れたくない!   まるで駄々をこねる子どもだった。

 すぐに、十数人の刑務官が一斉に被告人に取り付き、両腕を引っ張って立たせようとする。