日本で一番小さな蒸溜所
04年、彼はベンチャーウイスキー社を設立。まずは処分を免れた酒を売り出す。
肥土は、オーセンティックなバーやマニアックな品揃えの酒販店に的を絞って営業をかけた。狙いは当たり「モルトは馴染みが薄い」「クセが強すぎる」と価値を否定されたウイスキーが少しずつ認められていく。
そこから肥土はひとつの確信を得た。
「コアなファンは本格的で個性豊かな国産モルトウイスキーの登場を待っている」
これこそが「イチローズモルト」誕生のきっかけとなった。08年、肥土は父祖と縁の深い秩父で、2億円近い費用を投じてオリジナルウイスキーの製造に乗り出す。当時、日本で一番小さな蒸溜所の誕生だった。
「採算は度外視でした」
もっとも、その頃は依然として洋酒市場が冷え切ったまま。モルトへの一般的な認識も低い。肥土には「無謀だ」「正気なのか」といった非難と嘲笑の礫が投げつけられた。
しかし、彼はひるまない。本場の英国で研鑽を積み、スコットランドからポットスチル(単式蒸溜器)を取り寄せ、発酵槽にミズナラの木桶を用いた。肥土は原料の大麦のゴミを手で取り除き、発酵槽から蒸溜器へとホースをかついで駆けまわった。それどころか瓶詰や営業、経理までもこなしている。
ミズナラ材の樽を自前で製作したのも、つよいこだわりといえよう。この樽で熟成させたモルトは香木のような薫香をもつ。今では、それがジャパニーズ・ウイスキーの際だった特性と評価されるに至っている。ただし、コストは存外に高くつく。
肥土は振り返った。
「10年後を見据え、うまいウイスキーをつくるためなら採算は度外視でした」