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1億円で落札! 秩父が産んだウイスキー「イチローズモルト」が僅か12年で世界的評価を得た理由

1億円で落札! 秩父が産んだウイスキー「イチローズモルト」が僅か12年で世界的評価を得た理由

2020/11/05
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日本で一番小さな蒸溜所

 04年、彼はベンチャーウイスキー社を設立。まずは処分を免れた酒を売り出す。

 肥土は、オーセンティックなバーやマニアックな品揃えの酒販店に的を絞って営業をかけた。狙いは当たり「モルトは馴染みが薄い」「クセが強すぎる」と価値を否定されたウイスキーが少しずつ認められていく。

 

 そこから肥土はひとつの確信を得た。

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「コアなファンは本格的で個性豊かな国産モルトウイスキーの登場を待っている」

 これこそが「イチローズモルト」誕生のきっかけとなった。08年、肥土は父祖と縁の深い秩父で、2億円近い費用を投じてオリジナルウイスキーの製造に乗り出す。当時、日本で一番小さな蒸溜所の誕生だった。

「採算は度外視でした」

 もっとも、その頃は依然として洋酒市場が冷え切ったまま。モルトへの一般的な認識も低い。肥土には「無謀だ」「正気なのか」といった非難と嘲笑の礫が投げつけられた。

 しかし、彼はひるまない。本場の英国で研鑽を積み、スコットランドからポットスチル(単式蒸溜器)を取り寄せ、発酵槽にミズナラの木桶を用いた。肥土は原料の大麦のゴミを手で取り除き、発酵槽から蒸溜器へとホースをかついで駆けまわった。それどころか瓶詰や営業、経理までもこなしている。

 

 ミズナラ材の樽を自前で製作したのも、つよいこだわりといえよう。この樽で熟成させたモルトは香木のような薫香をもつ。今では、それがジャパニーズ・ウイスキーの際だった特性と評価されるに至っている。ただし、コストは存外に高くつく。

 肥土は振り返った。

「10年後を見据え、うまいウイスキーをつくるためなら採算は度外視でした」